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「葵と杏葉」
葵と杏葉・開国編

葵と杏葉開国編 第二十五話 安政の大獄と請役罷免・其の壹

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 安政五年六月十九日、大老・井伊直弼の独断により日米修好通商条約が日本とアメリカ合衆国の間で結ばれてしまった。朝廷からの許可が下りない、いわゆる無勅許条約は何故結ばれてしまったのか、簡単に流れを追ってゆく。



 日米和親条約により赴任した初代日本総領事、タウンゼント・ハリスは当初から通商条約の締結を計画し日本側に圧力を掛けていたが、それに対して日本側は極めて消極的な態度しか示していなかった。
 そもそも和親条約でさえ『水や薪を補給させるだけなら』と渋々調印したのである。それなのに通商など許してしまったら日本経済が壊滅すると一橋派を中心とする攘夷派が反対し、通商条約の締結までたどり着けずにいたのだ。
 それでもハリスの強硬さに『通商条約やむを得ず』という空気が交渉担当者の間で満ちてゆき、結局それに押し切られる形で幕府もそれに同調した。
 そうなると必要になってくるのは朝廷の勅許である。老中首座・堀田正睦は孝明天皇の勅許を得た上で世論を納得させ、通商条約締結をすべく自ら京都に出向いた。

「大丈夫、主上もきっとご理解をして下さるさ」

 心配げな表情を浮かべる従者に笑顔を作りながら語りかける堀田であったが、事はそう簡単に運ばなかった。堀田の意を受けた親幕派の関白・九条尚忠が朝廷に条約の議案を提出したところ、とんでもない事件が起こったのである。

「通商条約締結反対!神国を夷狄に蹂躙されてはならぬ!」

 中山忠能・岩倉具視ら中、下級公家八十八人が抗議の座り込みを行う、いわゆる『廷臣八十八卿列参事件』が勃発、続けて官務壬生輔世と出納平田職修より地下官人九十七名による条約案撤回を求める意見書が提出されるなど攘夷派の少壮公家が抵抗したのだ。
 その結果、孝明天皇は条約締結反対の立場を明確にし、二十日には参内した堀田に対して勅許の不可を下す。以後孝明天皇は条約の勅許を頑強に拒否する事となる。



 わざわざ京都まで出向いて説得に当たった堀田だったが勅許獲得は失敗に終わり、それが原因で堀田は罷免に追い込まれた。それと変わるように安政五年四月、南紀派の井伊直弼が大老、間部詮勝らが老中に任命された。

 当初、直弼も勅許なしの条約調印に反対であったが、開国派の直弼が大老になったことを受けハリスは一気呵成に交渉を急ぎ始める。ハリスはアロー号事件をきっかけに清と戦争中の英吉利や仏蘭西が日本に侵略する可能性を指摘、それを防御するにはあらかじめ亜米利加と『阿片輸入を禁止する条項を含む通商条約』を結ぶほかないと説得したのだ。

「やむを得ん・・・・・・朝廷の勅許を待っていたら、さらなる驚異に日本が晒されてしまう」

 状況を知った直弼は覚悟を決め、やむを得ぬ場合の調印を下田奉行の井上清直と目付の岩瀬忠震に命じた。こうして、孝明天皇の勅許を得られぬまま六月十九日にポーハタン号上でハリスとの間に日米修好通商条約が調印、そして続けて家茂の将軍継嗣指名を断行したのである。だが、攘夷派がそれを知って大人しくしている訳がなかった。

「何だと?朝廷を蔑ろにして彦根は条約に調印することを認めたとは、断じて許すまじ!」

 一旦は謹慎していた徳川斉昭は無勅許条約締結の話を聞き強引に復帰、藩政を指揮して長男である藩主徳川慶篤を動かし、尾張藩主徳川慶勝、福井藩主松平慶永らと連合した。 彼らは通商条約調印は仕方ないとしても無勅許調印はあまりにも不敬すぎると激怒、直弼を詰問する為、本来許されていない定式登城日以外の登城する不時登城、抗議したのである。
 しかしこれに対して井伊直弼は安政五年七月五日、徳川斉昭らを不時登城の罪で強制的に隠居させ、謹慎の処罰を与えた。徳川斉昭等に対するこの処罰を不服とした薩摩藩主・島津斉彬は直弼に反発し、藩兵五千人を率いて上洛することを計画したが、同年七月に鹿児島で急死、出兵は頓挫する。表向きはコレラによる死と発表されたが、時期的なもの、そしてその死に方があまりにも急だった為、当時から毒殺も疑われたほどであった。

 直弼の対応に憤った水戸藩士らが朝廷に働きかけた結果、孝明天皇は戊午の密勅を水戸藩に下す。武家の秩序を無視して大名に井伊の排斥を呼びかけたのである。また、若手の公卿たちが幕府に通じているといったことを拠り所に、関白・鷹司政通を突き上げ、八月八日、辞任に追い込んだ。

 この朝廷の動きに幕府も態度を硬化させる。直弼の腹心・長野主膳からの報告を受け九月に老中・間部詮勝、京都所司代酒井忠義らが上洛、近藤茂左衛門、梅田雲浜、橋本左内らを逮捕したことを皮切りに、公家の家臣まで捕縛するという激しい弾圧が始まった。これが世に言われる安政の大獄の始まりである。
 この動きにより京都で捕縛された志士たちは江戸に送致され、江戸伝馬町の獄などで詮議を受けた後、切腹・死罪など酷刑に処せられた。幕閣でも川路聖謨や岩瀬忠震らの非門閥の開明派幕臣が処罰され、謹慎などの処分を受ける事になる。



 直弼によるこれらの激しい弾圧の状況は、勿論江戸藩邸や責姫、そして義兄である慶永からの書状によって斉正の許にも伝わった。

「ちゃかぽんがこんな事をするとは信じられない・・・・・・まるで人が変わってしまったようだ」

 友人による義兄や親類の謹慎処分や、従兄の島津斉彬の急死だけでも胸が押しつぶされそうな程の苦しみなのに、直弼は攘夷派の者達を片っ端から処断し続けていると聞く。

「江戸では彦根公の事を『井伊の赤鬼』と陰で囁いているようでして」

 言い難そうに斉正に告げる松根に対し、斉正は『さもありなん』と首を横に振る。今、江戸城の中心に居るのは風流を愛し、蘭学を愛した『ちゃかぽん』ではなく、強引に攘夷派を粛正してゆく『彦根の赤鬼』なのだ。

「出来ることなら江戸に出向いて、ちゃかぽんの腹の内を聞きたいものだが」

 だが、斉正の参勤は来年十一月まで無いのだ。それを無視して江戸に上がろうものなら、どんな疑いが掛けられるか判らない。何せ佐賀には藩政にこそ力を及ぼすことは少ないが、そこそこ有名な尊皇集団がいるのである。

「粛正は全国に及んでおります。決して攘夷派とは言えませんが、尊皇を謳っている義祭同盟に参加している者達も対象になりかねないのではないでしょうか」

 松根の言葉に斉正は眉間に皺を寄せる。

「まさか。あれは名前こそ知られているが、他国の攘夷派ほど過激な運動はしていないはずだ。それに兄上も・・・・・・」

「武雄の平山醇左衛門の前例もございます。彦根公の心づもりが判らない今、早めに手を打っておいた方が宜しいのではないでしょうか。今はまだ三支藩も親類同格も大人しくしておりますが、下手をするとつけこまれかねません」

 松根の言葉に斉正は大きな溜息と共に首を横に振った。。

「もう少し・・・・・・考えさせてくれないか。義祭同盟を処断することになれば、藩の中枢に大きな穴が空く。特に請役の兄上にも類が及ぶ。この非常時に兄上を請役から外すのは・・・・・・」

 身分を問わず、義祭同盟には優秀な人材が多数参加している。天保の改革の際は平山醇左衛門を始めとするたった数人、しかも武雄領の藩士を処断しただけで、佐賀藩は後の大砲鋳造で金銭的にも技術的にもしなくてもいい苦労をすることになったのだ。今回の場合、処断するとなると人数は数十人に及ぶだろう。彼らを失うことで被る佐賀の損害は田中達の比ではない。

「勿論です。もし必要でしたら身分を問わず知識人を招集し、対策を議論させても宜しいかと」

「そうだな。松根、秘密裏に所属を問わず招集をかけてくれ。場所は隔林亭だ」

「御意」

 松根は一礼すると、早速動き出した。



 隔林亭は弘化三年に建てた斉正の別荘である。それまでは議論の場所として水ヶ江の別荘を使っていたのだが、周囲に家が建て込んできた為ゆっくりできないと判断、佐賀城から直線距離で二十七町(約3km)ほど離れた神野に隔林亭を建てたのである。
 そこに集まったのは三十人ほどの者達で、あらゆる立場から選ばれた知識人であった。

「皆に集まって貰ったのは他でもない。現在幕府によって行われている攘夷派に対する粛正についてだ。我が藩にも義祭同盟があるが、彼らを全て罰してしまっては藩の運営が成り立たなくなってしまう。幕府に対しての義理も立て、なおかつ藩の運営にできる限り支障を来さない方法を考えて欲しい」

 斉正の言葉を皮切りに議論が開始される。そしてその議論は一気に熱気を帯び収集を付かなくなっていった。

「やはり、義祭同盟の誰か代表者が腹を斬ることになるのではないか?義祭同盟に名を連ねているものは死を恐れぬ!何なら俺が代表して・・・・・・」

「待て、早まるんじゃない!そもそも幕府の手は佐賀に及んでいないのだ。実際義祭同盟の儀式は形骸化しつつあるし、わざわざこちらから動くことは無いだろう」

「それでは、万が一の時殿の立場が危うくなり申す!いくら殿と大老の関係が良好なものとはいえ、佐賀藩だけ粛正を免れるということはあり得ない!」

「では、誰が腹を斬るのだ?請役殿から若輩の江藤まで、誰一人失っても藩は立ちゆかなくなるのだぞ!財政逼迫の折、一人何役も受け持っている藩の実情を知らぬお前ではあるまい!」

 喧々諤々の議論は、それぞれの仕事が終わった夕暮れからだったが、出された夕餉もそこそこに、結局朝まで続いてしまった。

「・・・・・・皆の者、そろそろ夜も明ける。議論はここまでとしよう」

 結局斉正でさえも意見をまとめることが出来ぬまま、その日は解散となった。しかし議論はこの日だけではなかったのである。さすがにその日は斉正も疲労困憊で寝込んでしまったが、次の日、また次の日と議論は日を変え、人を変え数日間執り行われた。
 斉正もできる限りの意見を聞こうとしたが、どれもこれも決定的なものがない。そんなこんなであっという間に十日ほどが経過してしまった。

「殿、今日は誰を呼び出しますか?」

 紅葉の色も褪せ始めてきたある日、松根が斉正に尋ねた。連日斉正に付き合って会議に参加している松根のにも疲労の色が滲み始めている。

「そうだな・・・・・・」

 そして松根に答える斉正もまた同様に疲労が溜っていた。疲れの為か、なかなか家臣の名前を出せない斉正に対し松根が心配そうな表情を浮かべる。

「殿、焦る気持ちは判りますが連日連夜の会議で少々お疲れなのでは?今日くらいは少しお休みになっては如何でしょうか?」

 斉正を気遣う松根の目の下にも疲労の為か濃い隈ができていた。それに気が付き斉正は苦笑を浮かべる。きっと自分の目の下にも同様の隈ができているのだろう。

「そうだな。あまり詰め込みすぎても良い案は浮かんでこないか。じゃあ今日はひと休みとしようか。もし、何かあったら今夜は本丸の奥にいるからそちらに連絡を」

 さすがに何が起こるか判らない状況の中、三の丸に居る側室の許に通う訳にもいかない。久しぶりに濱の顔を見るのも悪く無いだろうと、斉正は行儀悪く大きな伸びをしながら首を大きく回した。



UP DATE 2011.11.02

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あの優しく、穏やかだった『ちゃかぽん』が『赤鬼』に豹変----------安政の大獄が始まってしまいました。
国を動かす為には仕方がなかったのかもしれませんが、以前の『ちゃかぽん』を知っている斉正や他の知人は驚いたり困惑したに違いありません。
そしてただ困惑するだけならいざ知らず、藩内の尊皇派への影響が・・・・・佐賀藩には『義祭同盟』なる集団がありますからねぇ。この当時ではほぼ形骸化しつつあったようですが、参加している人間は明治政府においても中枢に食い込むほど優秀な人材ばかりですからねぇ。斉正や藩幹部としてはできるだけ被害を最小限に、可能ならば一人の被害もなくやり過ごしたいというのが本音です。特に佐賀藩は緊縮財政の為一人で複数の仕事を掛け持ちしていたりしますからねぇ(^^;)

そんな中、濱の許でひと休みをする斉正ですが・・・・・やっぱりこういう時って人恋しくなるものですよねぇ(含笑)。お待たせいたしました、次回はようやく濱の想いが通じることになりそうです(*^_^*)
ちなみに更新予定は11/9です。

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