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「紅柊(R-15~大人向け)」
壬辰・秋冬の章

残菊心中・其の参~天保三年十一月の悲恋

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ひんやりとした空気の中、明け烏の鳴声が遠くから聞こえる。待宵花魁----------菊はそのもの悲しい鳴声に気が付き、ゆっくりと瞼を開いた。

「私・・・・・いつの間に・・・・・。」

 加藤の腕の中、声をひそめて泣き続けているうちにいつの間にか眠ってしまったらしい。病を患い、眠りが浅くなってしまってからここまでぐっすり寝たのは初めてであった。やはり人の温もりが良かったのだろうか。胸の苦しさも今朝はあまり感じない。

(加藤様・・・・・。)

 菊は未だ自分を抱きしめている加藤の寝顔を見つめながら心の中で呟いた。愛しい男の腕に抱かれ、ただ好きな男の事だけを想い続ける贅沢に酔いしれながらも、己に忍び寄る死の影に菊はおののく。

(加藤様は・・・・・私が病でやせ衰え、醜くなっていっても傍にいて下さるのかしら。)

 現時点でも出会った頃に比べたら若くもなく、病に痩せてしまっているが、これから先その傾向はますます顕著になるだろう。
 自分では決して美人では無いと思うが、それでも人気見世で御職を張った花魁としての矜持はある。醜く痩せ衰えてゆく姿を愛しい男に----------愛しいと想う男だからこそ見られたくない。そう思うと急に切なくなり、菊は加藤の寝顔から視線を逸らし、ふと床の間に目をやった。

(今の私にも・・・・・あれくらいの美しさは残っているかしら。)

 そこには昨日、看病に通っている老婆が活けてくれた残菊が飾られていた。すっかり紅く変化してしまった白菊は、当初の初々しい美しさは失われてしまったものの残菊ならではのしっとりとした美しさを留めている。

(でも・・・・・私も残菊もあとは枯れてゆくばかり・・・・・。)

 そう思った瞬間、菊の目から涙がこぼれ落ちた。変化しつつもまだ美しさを留めている残菊だが、あと数日もすればすっかり枯れてしまうだろう。その姿に菊は己の姿を重ね合わせてしまったのである。
 それとは対照的に、残菊の前に無造作に置かれた加藤の大小は時を経ても変わらぬ美しさを----------永遠とも思える美しさを纏っている。それはこれからも生を謳歌する加藤とゆっくりと死に向かってゆく菊との差に思えた。

(醜く枯れてゆく姿を加藤様に見せるくらいなら・・・・・。)

 菊は加藤を起こさぬよう慎重に加藤の腕から抜け出し、そろりそろりと加藤の大小の方へ近づいていった。


ちゃりっ


 加藤の耳が鯉口を切る微かな音を捉える。そして次の瞬間、女の微かな呻き声が聞こえ、血の匂いが部屋中に充満した。この時、加藤は腕の中にいたはずの菊がいない事にようやく気がついたのである。

「菊!」

 嫌な予感に加藤は慌てて起き上がり、目の前に広がる光景に愕然とした。そこには、加藤の脇差で喉元を斬った菊が倒れていたのである。加藤は倒れている菊ににじり寄り、その身体を抱きかかえる。

「菊!脇差を離せ!」

 加藤は左腕で菊の身体を抱きかかえながら菊が握りしめている脇差を取り上げようとするが、その手はなかなか柄を離そうとしない。喉の斬り口からは深紅の血が流れ続け、菊の真っ白な寝間着を染めてゆく。それは紅に染まる残菊のようであった。

「か・・・・・とう・・・・・さま・・・・・。」

 虫の息の下、声にならない菊の声が加藤に語りかける。それに気が付いた加藤は脇差を取り上げることを諦め、両腕で菊を強く抱きしめる。

「菊!無理に喋るんじゃない!俺は・・・・・ここにいる!」

 傷はかなり深く、医者を呼んでも間に合わないことは明らかであった。ならばこと切れるまで抱きしめてやろうと加藤は泣き叫びながら菊を強く抱きしめる。そんな加藤の腕の中で、菊は不謹慎にもこれ以上はないくらいの幸福感を感じていた。

(加藤様・・・・・菊は貴方様に逢えて幸せでございました・・・・・。)

 すでに病の苦しさも、刀で斬りつけた痛さも感じない。ただ、愛する男の腕に抱かれている幸せを感じながら菊の意識は徐々に遠のいていった。



 愛する男の腕の中で逝く事が出来た女は幸せだったろう。だが、遺された男は地獄の業火で焼かれるような苦しみを味わっていた。

「菊!おい、目を開けろ!菊!」

 脇差を握りしめたまま、加藤の腕の中でこと切れた菊を抱きしめながら加藤は叫ぶ。だが、菊は幸せそうな笑みを浮かべたままどんどん冷たくなっていった。

「なんて・・・・・馬鹿なことを・・・・・。」

 加藤は男泣きに泣き濡れながら、菊を強く抱きしめ頬ずりをする。仄かに鼻をくすぐる香の香りが悲しいほど甘く、最期の情事を思い起こさせた。その甘く悲しい香りの中、しばらくの間泣き続けた加藤は、意を決したように顔を上げる。

「菊・・・・・お前を一人逝かせやしない。ほんの少しだけ待っていてくれ。」

 加藤は菊の亡骸をそっと横たえると布団を片付け、その場を整えた。勿論乱れた菊の髪や乱れた裾も例外ではない。元・武士の娘として、そして迎えることこそ許されなかったが武士の妻として恥ずかしくないように菊の身なりを整えた後、加藤は己の懐を押し広げ腹を晒す。

「待たせたな、菊。今、そっちに逝くから・・・・・。」

 加藤はそう呟くと、脇差を握りしめたままの菊の手を己の手で包み込み、脇差の刃先を己の腹に突き立てたのである。小刀と違い、脇差では横一文字に腹を切り裂くことは難しい。その代わり奥まで一気に貫くことが出来る。加藤は自分の体重を利用して脇差を己の背中まで貫かせると、そのまま菊にのしかかるように倒れ込んだ。加藤の腹から流れ出る血は菊の亡骸を濡らし、さらに紅く染めてゆく。

「兄上・・・・・申し訳・・・・・。」

 町奉行所の同心が法度で禁じられている相対死を行えば、類は家族にも及ぶ。下手をすれば家を取りつぶされる可能性だってあるのだ。だが、今の加藤には菊のいない世で生き長らえるという考えは微塵もなかった。

「菊・・・・・いつまでも一緒だ・・・・・今生も、来世も・・・・・。」

 薄れゆく意識の中、加藤は菊の唇に己の唇を重ねその身体を抱きしめる。朝日が差し込む部屋の中、一本の脇差に刺し貫かれたような二人の身体は霜が溶けるようにひとつに重なり合っていった。



 通いの老婆が二人の亡骸を発見したのは、明け五つのことであった。慌てて番屋へ駆け込んだ老婆の知らせを受け同心仲間の前田や加藤の兄、そして与力の井坂が現場検証に当たり、恵比寿屋の女将と幸が呼び出される。

「じゃあお幸ちゃん、こいつを届ける途中に加藤の奴と一緒になってここに来たんだな?」

 前田がまだ封も切っていない『天寿慶心丸』の包みを手にしながら幸に尋ねた。

「ええ・・・・・ここの門前まで加藤さんとはご一緒させて戴きました。ですけど深川に用事があるとかでここで別れたんです。以前、花魁には『加藤という名前の想い人がいる』という話を聞いていたのですが、加藤さんにはそんな素振りは見えなかったので・・・・・。」

 顔面蒼白の幸が自分の知っていることを洗いざらい前田に説明する。その時である。

「・・・・・だからあの男にうちの花魁を逢わせたくなかったんだよ!」

 突如恵比寿屋の女将がぶっきらぼうに怒鳴り、井坂や前田をびっくりさせた。

「幾ら好いた惚れたっていっても男って奴は女の容色が衰えりゃ去っていくもんさ!そんな不義理な男達を何百と見ている花魁が、まだきれいなうちに・・・・って思うのは当然じゃないか!それを無理矢理探しだしてさ・・・・・あの馬鹿野郎が!」

 そうまくし立てると恵比寿屋の女将はわっ、と泣き崩れた。普段ふてぶてしい女将が大声を上げて泣き崩れる姿を、町奉行所の役人や幸はやるせない気持ちで見つめる。

「お幸ちゃん、悪いがこの件は内密に願えねぇか。八丁堀が恵比寿屋の御職と相対死、なんて言ったら噂好きの江戸っ子が黙っちゃいねぇだろう。」

 泣き崩れる恵比寿屋の女将を見つめながら与力の井坂は幸に頼み込んだ。

「そうなると・・・・・お咎めは無しということになるんですか?」

 どうやら町奉行側としてはこの件をもみ消したいらしい。確かにこの件が表沙汰になれば厄介な事になるだろうが、あまりにも強引すぎやしないだろうか。そんな疑念を含んだ幸の問いに今度は前田が答えた。

「仕方ねぇだろう。これは奉行所の威信にも関わってくるんだ。相対死を取り締まる町奉行所の同心が相対死なんてねぇ・・・・・加藤さん、この二人『許嫁』として葬ってやるってことでかまいませんよね?」

 前田がが伺うように加藤の兄に尋ねる。

「否----------とは言えんでしょう。私だって八丁堀に生きているものですから、このうつけがやらかしてくれた事が露見したらどうなるかは判っているつもりです。」

 目を真っ赤にしながら、加藤の兄は前田の言葉に応えた。

「済まぬな、加藤。そなたとしては不本意だろうが許してくれ。」

 与力の井坂が加藤の兄に対してねぎらいの言葉をかける。その言葉に対し、加藤の兄は寂しげな笑みを浮かべながら首を横に振った。

「いいえ、ご迷惑をおかけしたのはこちらです。」

「しかし、加藤の奴・・・・・人の気も知らねぇで幸せそうな面ぁしやがって。心底花魁に惚れていたんでしょうね。」

 しんみりした前田の言葉にその場にいた者達は揃って頷く。どんなに引き離そうとしても、死後硬直もあってなかなか離れそうもない二人の亡骸はそのまま本人達の想いそのもののようであった。結局二人を引き離すことを諦めた関係者は、特注の桶を作って貰い二人を荼毘に付すことになる。



 二人の心中事件があった数日後、幸は芳太郎や五三郎と共に加藤達の墓参に出向いた。

「しかしよぉ、八丁堀がひた隠しにしたかった心中だろ?いいのかよ、こんなに堂々と墓参りなんて。」

 先を進む幸に対して五三郎は一応尋ねるが、その顔は好奇心に輝いている。

「ひた隠し・・・・・なんでしょうかねぇ。そもそも御喋り好きな吉原関係者が当事者ですから、それは無理でしょう。あくまでも『八丁堀としてはそんな事実は知らない』ということみたいですよ。」

 五三郎の、好奇心満々の質問に幸は肩を竦めながら答えた。本当なら内密にするべき同心と花魁の心中であったが、その話はすでに吉原の中で持ちきりになっていた。
 それは恵比寿屋の女将が番頭に対し『花魁と昨日うちにやってきた八丁堀とが心中した。』という報告を、耳ざとい禿が聞いていたことに端を発する。その禿が自分の姉分にその話をした途端、瞬く間に噂が広まってしまい、とうとう花魁達に頼まれた若い衆が待宵花魁の看病に当たっていた老婆を探し出すという騒動にまで発展してしまったのである。そうこうしているうちに幸達は加藤家の菩提寺に到着した。

「うわ!もしかしてあれが加藤さんの墓ですか?」

 寺の門をくぐり、墓場に到着した途端普段そう騒がない芳太郎が指を差し、驚きの声を上げてしまう。そこには墓を埋め尽くさんばかりの花や供え物があった。その尋常ならざる供え物は、美しくも悲しい恋物語にほだされた遊女達のものだろう。

「・・・・・女の口は軽いからな。江戸中にこの話が広まるのも時間の問題だぜ。」

 吉原内部の噂だけでもこれである。この噂が江戸市中に広まるであろう来年早々、この話に影響を受けた相対死が増えるかも知れない。そうなった時、双方が生き残ればひにん身分に落ちるだけだが、万が一生き残った片割れを処断するのは山田家一門なのだ。五三郎は不機嫌そうな表情を浮かべながら加藤の墓前に進み、手を合わせた。

「っつたく、加藤さんよぉ!厄介な仕事を遺して逝きやがって・・・・・あっちで花魁とよろしくやりやがれ、こん畜生!」

 五三郎はぶっきらぼうに言い放つと、深々と頭を垂れる。それに幸と芳太郎も続く。ひんやりとした空気の中、線香と残菊の香だけが辺りに漂い、悲しい恋の結末を静かに彩っていた。



UP DATE 2011.11.22

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悲しすぎる大人の恋は心中という形で幕を下ろしました・・・・・。

できる限り長く一緒にいたいという男と、綺麗なまま、病で醜くなる前に美しいままこの世を去りたいという女。愛し合いながらその僅かな差で心中という、江戸時代では許されない死を迎えることになった加藤と待宵花魁ですが、ある意味幸せだったのではないでしょうか。そして『愛しいお人と愛を貫き通したい!』と妄想するのもいつの世も変わらないという・・・・・これぞ『ザ・乙女の妄想』というところでしょうか(^^;)
妄想もせいぜいお墓へのお供え物程度で済めばいいのですが、中には自分で実行しちゃう子もいたりするんですよねぇ。そんなろくでもない『心中の流行』が時折あったそうです。(うまく心中できればともかく片方が生き残った場合、生き残った方は死罪ですからねぇ。迷惑を被るのは奉行所や山田家一門です・苦笑)


来週29日は猫絵師・国芳12月分(たぶん独身最後・笑)、紅柊12月話は12/6からになります。来月のタイトルは『七両二分の代償』、門弟の一人・前畑銀二郎が主役になります。
(露骨なエッチ描写はないのですがオトナな話になりそうです。江戸時代の風俗に詳しい方なら『七両二分』の意味がお解りになると思いますが・・・気になる方は『七両二分』でググって見てくださいませv)

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