FC2ブログ

「葵と杏葉」
葵と杏葉・開国編

葵と杏葉開国編 第二十八話 直弼、桜田門に散る・其の壹

 ←烏のまかない処~其の廿参・きのこ →烏のがらくた箱~その八十五・採血注射
 二年に一度の参勤であれば十一月に江戸に入る斉正だが、五年ぶりの参勤となればそう悠長な事は言っていられない。昶姫が生まれた三日後の九月七日、後ろ髪を引かれつつも斉正は江戸へと出立、十月十日には早々に江戸に到着していた。

「できるだけ早くちゃかぽんに会って、江戸で何が起こっているか知りたい」

 そう焦るものの斉正の登城日は五日後であり、それでさえも二言、三言の挨拶だけで終わってしまう。そして斉正にとってさらに不幸な事に十月十七日に江戸城本丸が火災に遭ってしまったのである。
 さすがに『江戸で起こっている事を』などと言っている訳にもいかず、斉正を始めとする大名達は西の丸に避難した将軍へのご機嫌伺いや献上金の申し出など事後対応に右往左往する事となった。ちなみに佐賀藩からは十二月一日付けで二万両の献上金を願い出ている。
 結局ある程度の時間を取って斉正が直弼に謁見できたのは、江戸城本丸の火災から一ヶ月後の十二月十六日であった。



 大掃除も終わり、冬らしい清々しい空気に包まれた江戸城西の丸にある謁見の間に斉正は通されていた。

「大老におかれましてはご機嫌麗しゅう・・・・・・」

 例え友人であっても公の場では大老と外様大名である。礼を失しない、型どおりの挨拶をする斉正に対し、むしろ直弼の方が居心地の悪そうな表情を浮かべる。

「肥前守も五年ぶりの参勤の直後のこの度の火災、さぞや疲れているであろう。江戸で起こっていることは追々語るとして、まずは昇進の話をする。肥前守、この度に限らず大いなる働き、大樹公もお喜びだ。特に藩を挙げての五年に及ぶ長崎警備、誠にあっぱれ。よって近衛中将への昇進を認める」

 近衛中将――――――家格に不釣り合いなその昇進に、斉正は眉間に皺を寄せた。

「大老、恐れながら申し上げます。本来、鍋島の家格は侍従にございます。将軍家姫君の降嫁による昇進ならいざ知らず、この度の中将昇進は行き過ぎではありませんでしょうか」

 確かに非常事態ではあるが、長崎警備に関してはすでに参勤免除という特典を与えられている。その上にこの昇進とは・・・・・・何かとんでもない裏があるのではないかと斉正は警戒する。だが、直弼はそんな斉正の警戒を一蹴してしまった。

「考えすぎだ、肥前守。これはあくまでも幕府の方針である」

 にべもなく話を切り上げられてしまいとりつくしまもない。周囲の者達の様子を伺おうにも直弼を怖れているのか、誰も顔を上げようとせず表情を読むことさえできなかった。

(私が江戸に居なかった五年の間に一体何があったのだ?これはかなり深刻だぞ)

 勿論江戸藩邸からの報告もあるが、さすがに詳細までは判らない。そのうち直弼から直接話を聞くつもりだが、その前に他の人間から直弼の豹変振りを聞いた方が良いかも知れない。直弼との謁見を終えた斉正は、早速行動に移った。



『五年ぶりに娘の顔を見に行く』

 江戸城を出る前に幕府にはそう届けを出し、斉正は佐賀藩邸に帰らずその脚で川越藩藩邸へと出向いた。

「義父上!一言申しつけてくださればこちらから伺いましたのに!」

 斉正の突然の訪問に、娘婿である松平直侯が平身低頭をする。江戸城本丸の火災があったとはいえ、舅への挨拶は婿が出向くべきだろう。己の至らなさに直侯は冷や汗を掻く。

「気にすることはない。こちらも急に思い立っての事だったからな。ところで」

 斉正は周囲を伺いながら声を顰める。

「江戸で何が起こっているか、判る範囲で教えて欲しい。何故大老は・・・・・・ちゃかぽんはあそこまで変わってしまったのか」

 斉正の言葉に直侯はごくり、と喉を鳴らした後、事情を語りだした。

「義父上は昨年の八月に出された密勅について何かご存じでしょうか?」

 直侯の言葉に斉正は深く頷く。

「昨年の八月に今上から水戸に下賜されたあの勅書の事か?一応幕府から写しが幕府から送られてきたが」

 戊午の密勅とは安政五年八月八日に孝明天皇が水戸藩に勅書を下賜した事件である。密勅は関白九条尚忠の目を避け、八月七日深更、万里小路正房より水戸藩京都留守居役・鵜飼吉左衛門に下った後、東海道を潜行。十六日深夜に水戸藩家老・安島帯刀を介して水戸藩主徳川慶篤にもたらされた。
 これに先立ち、薩摩藩士西郷吉之助が安島へ水戸内勅の打診をしたところ、安島は藩状の混乱により遠慮の意向を示しており、京へ帰った西郷と入れ違いの勅諚拝受に安島は大いに驚愕したという。
 幕府には十日に禁裏付の大久保一翁を通じて伝えられたが、江戸より水戸に先着することを図っての時期であった。水戸藩以外の御三家、御三卿などには秘匿されていたが、写しは関白以外の摂家を通じて縁家の大名に送付された。勿論斉正に対しては盛姫との縁もあるが、大砲鋳造、そして伝習所での働きによってその情報は早々に伝えられている。

「その通りです。将軍の臣下である筈の水戸藩へ、朝廷から直接勅書が渡されたということは、幕府の威信を失墜させられたという事と同義。幕府は勅条の内容を秘匿し、大老井伊直弼による大獄を起こす引き金となったのです。とりわけ、鵜飼吉左衛門から水戸藩家老・安島帯刀宛への書簡には・・・・・・大老暗殺の秘事が記されていたとされております。あくまでも噂なのですが、薩摩藩から兵二百から三百人が上京し、彦根城を落城させる計画だったらしいと」

 さすがに水戸斉昭の実子だけあり、水戸側の情報も直侯は知っていた。その情報に斉正は驚愕の表情を浮かべながら腕を組む。

「なるほど。薩摩が・・・・・・従兄殿の出兵はそれを受けてのものだったのか」

「義父上。不謹慎を承知で申し上げますが・・・・・・やはり、先代の薩摩公の急死は暗殺によるものだったのでしょうか」

 不安げに眉を曇らせた直侯に対し、斉正は『ああ』と短く答えた。

「残念ながらありえないことではない。だいぶ昔のことになるが、一時期佐賀藩に於いても幕府の間者を匿っていたことがある」

「間者を!それは・・・・・・本当のことなのですか!」

「しっ、声が大きい」

 斉正は大声を上げてしまった直侯を窘め、さらに声を顰める。

「どこに耳があるか判らぬ。特にそなたは水戸と血縁があるのだから、どんなに気を使っても使いすぎることはないと思うように。いや、幕府だけではないな。ここ最近、水戸の天狗党の動きもだいぶ活発になっていると聞いているだけに、あまり開国に走りすぎるのも危険かも知れない」

 後に直侯を襲う運命を知ってか知らずか、斉正は直侯に注意を促した。もともと前藩主の斉昭が藩主に就任した時以来、水戸藩では斉昭に忠実な天狗党と幕府との関係を重視する諸生党の対立が激しかったが、密勅の対応を巡ってさらに確執を深めている。密勅の返納に反対する藩士が城下を離れているという話は、斉正の耳にも届いていた。その点を指摘され、直侯は唇を真一文字に引き結び重々しく頷く。

「その後の幕府の弾圧は周知の通りです。ここ最近、大老はますます孤立を深めておりますし、大老の独裁政治は反対勢力の怨嗟を受けております。私自身、井伊大老の考えは判らなくはないのですが・・・・・・」

 直侯の口から次々と明かされる裏事情に斉正は驚きつつも、ようやく全体像が見えて来たような気がした。

「なるほど。私の中将昇進はそういう一連の動きも関わって居るのかも知れないな」

「中将!それは誠のことですか!」

 今度は直侯が驚く番だった。家格からすれば破格の出世に、尋常ならざるものを感じずにはいられない。

「ああ。多分開国派で固めたいのだろう。気持ちは判らなくもない。この機会を逃してしまったら日本は間違いなく清国の二の舞になってしなうだろう。できる限り対等な関係で開国を進めなければならないとは思うが・・・・・ちゃかぽんのここ最近のやり方は強引すぎる」

 斉正の言葉に、直侯は思い詰めたように口を開いた。

「義父上・・・・・差し出がましいのは重々承知しておりますが、義父上から大老を説得して戴くことはできないのでしょうか」

 直侯は縋るように斉正に頼み込む。

「私としても溜間と実家との板挟みで四苦八苦しております。確かに大老の気持ちは判らぬではないのですが・・・・・・あれはやり過ぎです」

 溜間詰の大名として幕政に深く関わっている直侯は、攘夷が不可能なことを痛感していた。ある意味斉正以上にそれを肌で感じているかも知れない。だが、片っ端から反対する者達を粛正していく、直弼の強引なやり方に関してはあまり賛同していないらしい。

「確かにな・・・・・・判った。仕事納めの後にでもちゃかぽんを藩邸に呼んで腹を割って話してみようか。尤もあっちは大老だからそこまで暇じゃないだろうけど」

 斉正の力強い言葉に、直侯はようやくほっとした表情を浮かべた。



 数日後、再び登城した際斉正は直弼に対して宴の誘いをした。駄目で元々だったが意外とあっさり直弼はその誘いに乗ってきた。だが、さすがに年末にはすでに予定が入ってしまっているとのことだ。

「かといって一月も何かと忙しいですから・・・・・・二月の頭で良いですか?」

 人払いをした直弼は穏やかに斉正に尋ねる。それは久しぶりに見た『ちゃかぽん』の表情であった。

「勿論。久しぶりにちゃかぽんの鼓も聞きたいし、つもる話もあるんだ。たまには息抜きも必要だろう?」

 直弼の穏やかな表情につられて斉正もついつい昔の表情に戻ってゆく。人の目が無いこともあり、昔の二人に戻った穏やかな会話であったが、目はなくても耳はある。二人の会話に耳をそばだてていた茶坊主達は、『井伊の赤鬼』の機嫌の良い声の驚愕した。

「鬼の如き大老も、佐賀公に対してだけは心を開いているようだ』

 お喋り好きの茶坊主から漏れたこの噂は、瞬く間に江戸城に詰めている諸大名に広まった。そしておのずと斉正への期待は高まっていったのである。

『どうか佐賀公から赦免の口利きを』

 年末年始の挨拶の折、斉正は事あるごとに大獄被害者に頼まれる羽目に陥った。大獄被害者としては藁をも掴む気持ちで斉正に頼み込んだのだが、頼まれた斉正としては堪ったものではない。

「一体ちゃかぽんは、どれだけの人間を処断したんだ・・・・・・」

 こめかみを押えながら斉正は溜息を吐く。

「それだけ攘夷派の抵抗が強いと言うことでしょう。あの穏やかな彦根公が鬼とあだ名されるなんて・・・・・・私は未だに信じられません」

 困惑したように松根が斉正に応えた。松根の知っている直弼は風流を好み、鼓の名手である『ちゃかぽん』なのである。松根も藩の中では風雅に通じているだけに、直弼は尊敬する風流人なのだ。

「だろうな。私も参勤直後の登城がなければ信じられなかったくらいだから・・・・・・江戸城にいるちゃかぽんは、まるで別人だよ」

 尋常ならざる嘆願を前に斉正は再び溜息を吐いた。そして瞬く間に正月は過ぎてしまい、二月六日、とうとう直弼が佐賀藩邸にやってくる事となる。



UP DATE 2011.11.25

Back   Next
 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
INランキング参加中。
お気に召しましたら拍手代わりに是非ひとポチをv


  
こちらは画像表示型ランキングです。
押さなくてもランキングに反映されます。
(双方バナーのリンク先には素敵小説が多数ございます。お口直しに是非v)





ようやく開国編最終話『直弼、桜田門に散る』に到達しましたvこの三話が終わったらとうとう最終章・維新編ですよ。何だかあっという間にここまで来てしまったような気がします。


五年ぶりに江戸にやってきた斉正ですが・・・・・ゆっくり時間が流れていた筈の江戸時代に於いても五年はとてつもなく長かったようです。人の良い友人『ちゃかぽん』は『井伊の赤鬼』と怖れられるようになり、皆息を潜めている状態ですから(>_<)
そんな中、むしろ五年間江戸を離れていた斉正だからこそ直弼と話すことが可能だったのかも知れません。最後の最後にちらっ、と書かせていただいた2月6日の藩邸招待、これも史実として残っているんですよね~。どんな話がそこでなされたのかは定かではありませんが、次回持ちうる妄想力を総動員して佐賀藩邸での二人のやり取りを書きたいと思いますvこちらは次回更新の12/2に・・・・・。
関連記事
スポンサーサイト




 関連もくじ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ 3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ 3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ 3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ 3kaku_s_L.png 雑  記
総もくじ  3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ  3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ  3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ  3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ  3kaku_s_L.png 雑  記
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【烏のまかない処~其の廿参・きのこ】へ  【烏のがらくた箱~その八十五・採血注射】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【烏のまかない処~其の廿参・きのこ】へ
  • 【烏のがらくた箱~その八十五・採血注射】へ