FC2ブログ

「葵と杏葉」
葵と杏葉・開国編

葵と杏葉開国編 第二十九話 直弼、桜田門に散る・其の貳

 ←烏のまかない処~其の廿肆・ぶり大根 →烏のがらくた箱~その八十六・採血注射10本分、そして睡眠時間1時間(>_
 直弼が佐賀藩邸にやってきたのは、梅咲き誇る二月六日のことであった。直弼に関しては小正月以降いつでも良いとの事であったが、二月三日に行われた盛姫の法要の為斉正の方の用意が整わず、法要が終わった三日後の来訪となったのである。
 まだひんやりとする空気の中、梅の香りが仄かに漂い、藩邸に足を踏み入れた者を穏やかな気持ちにさせた。大々的に行われた三日前の法要が嘘のように静寂が包み、聞こえるのは鶯の澄んだ声ばかりである。

「・・・・・・佐賀藩邸に来るのも久しぶりですね。もう五年になりますか」

 盛姫の仏前に手を合わせた後、目を細めながら直弼は庭の梅の木を見つめた。盛姫の生前そのままの庭は派手さこそないが、品の良い美しさを湛えている。

「先日は孝盛院様の法要に出席できずに申し訳ございませんでした、肥前守」

 将軍家の姫君とはいえ、一外様大名の妻の法要に大老が出席するのは如何なものかと、法要への出席を控えた直弼はその事を詫びたが、斉正はまったく気にしていなかった。

「そんな事気にしなくても・・・・・・それよりも何か五年の間に随分と堅苦しくなってしまったな、ちゃかぽん。私は『大老殿』をそのまま招待つもりはないぞ」

 斉正はわざと砕けた口調で語りかけ、松根が持ってきた酒を勧める。

「ここは千代田城ではないのだから肥前守などという改まった言い方でなく閑叟で結構。それともかしこまった言い方の方が宜しいでしょうか、『大老殿』」

 冗談めかしながら直弼をからかう斉正の言葉に、直弼は大笑いをした。

「いや、御城でもないのに『大老殿』は勘弁して戴きたい。今じゃ自邸でも『ちゃかぽん』ではいられませんからね。では閑叟殿、頂戴します」

 注がれた酒を飲み干しながら、直弼は徐々に大老から『ちゃかぽん』の顔へ戻っていった。



 五年の歳月の間に起こった事をたった数刻で話し尽くすことなどできない。だが、話したいことは山ほどある。松根さえ下がらせた二人きりの座敷で、二人はそれぞれの私的な近況を中心に徐々に政治の話へと進んでいった。

「ちゃかぽん、お前はあちらこちらで恨みを買っているようだな。この私的な宴の事を聞きつけた各所から『是非恩赦の進言を』とどれだけ頼まれたか」

 直弼に見せつけるように大仰に溜息を吐くと、空になった直弼の盃に自ら酒を注ぐ。

「仕方ないでしょう。条約は結んだだけではただの文言です。それを実行してこその条約なのに・・・・・・石頭共はやれ時期尚早だとか根回しをもっとしろだとか。そんな悠長な事をしていられないことは誰の目から見ても明らかなのにうだうだと・・・・・・『赤鬼』と言われようともこの国を外国の蹂躙から守るのが大老の使命、その為の手段は選びませんよ!」

 男性にしては色白の頬を紅潮させながら、直弼は力説する。

「そうそう・・・・・・閑叟殿、閑叟殿も同様です。私の目を誤魔化そうとしてもそうはいきませんよ」

 不意に直弼は愚痴の矛先を斉正に向けたs。

「誤魔化す?一体何のことだ?皆目見当が付かぬが」

 直弼が何を言いたいのかは解っていたが、斉正は逢えてしらばっくれる。そんな斉正の顔を覗き込むように直弼は顔を近づけると、声をひそめて持論を展開する。

「あなたの兄上、請役の鍋島安房の件ですよ。あれでしょう、義祭同盟に加担している責任を取って罷免になさったんでしょうけど」

「まぁ、確かに」

 斉正は杯に口を付けながら視線を外そうとするが、直弼はそれを許してくれなかった。

「むしろ請役のままにして戴いた方がこちらとしてはありがたかったんですがねぇ。あれじゃあ虎に翼を付けて放つようなものでしょう」

 直弼の鋭い指摘に、斉正は耐えられなくなりとうとう笑い出した。

「ははは、やっぱりばれていたか!やっぱり『井伊の赤鬼』の目は節穴じゃ無かったってことだな」

 悪戯がばれた子供のように大笑いする斉正に、直弼もつられて笑い出す。

「ま、それでも義祭同盟は水戸の天狗党に比べたら全然まともですし、暴走をしでかす輩もいない。やはり長崎御番を任されている藩の結社だからなのか、閑叟殿の監視が行き届いているからなのか・・・・・・水戸はご隠居殿から足軽までろくなもんじゃありませんよ」

 ひとしきり笑った後、不意に真顔になった直弼は苛立ちも露わに酒を煽った。

「ちゃかぽん、水戸に対する苛立ちは判るが、完璧を目指しすぎると自分の首を絞めることになるぞ」

 趣味に関しても言えることだが、直弼は取り組んだことを完璧にこなそうとするところがある。芸道であれば問題無いのだが、こと人が絡む政治になると、自分の首を絞め、人から恨みを買いかねない。面倒な事ではあるが、意見の違う者が互いに話し合い、妥協点を見つけ出そうと努力することでより良い意見が生まれてくることもあるのだ。その時間を切り捨て、己の理想のみ追いかけ続ける直弼に、斉正は危機感を感じた。
 だが、直弼はそんな斉正の忠告に耳を貸そうとせず、己の考えを吐き出す。

「ちっとも完璧なんかじゃありませんよ。奴等、何をしでかしたか・・・・・・幕府を蔑ろにして朝廷からの密勅を受け取ったんですよ!しかも何度督促してもなかなか返納しようとしないし・・・・・・御三家のやる事とも思えませぬ!」

 直弼の言葉に沈黙が流れた。これより前、直弼は一月十五日に登城してきた水戸慶篤に対し、重ねて勅の返納を催促していた。そして一月二十五日を期限として、もし遅延したら違勅の罪を斉昭に問い、水戸藩を改易するいう強攻策に出ていたのである。
 その噂は勿論斉正の耳にも届いていたし、娘婿の直侯を通して直弼を懐柔してくれと水戸からも頼まれていた。しかし、この様子では直弼が己の意思を曲げるとも思えない。
 どうしたものかと斉正が考えあぐねている間にも沈黙は続く。そしてようやく落ち着きを取り戻した直弼が、困惑している斉正にようやく気が付いた。

「すみません・・・・・・少々悪い酔い方をしてしまったようです。今の言葉は聞き流して下さい」

 直弼は斉正に詫びを入れ、話題を変えた。

「ところで三日の法要、相当なものだったようですね。これもそれも『国子殿』に対する想いが消えていないからでしょう?」

 直弼は年上の斉正を茶化すようににやにや笑う。

「どういう事だ?」

 思わぬ方向に話が飛んで斉正は身構えた。そんな斉正に対し、直弼は愉快そうに言葉を続ける。

「聞きましたよ、今回の法要。十三回忌の法要をこちらでやれなかったからとか理由を付けて、かなり盛大におやりになられたとか・・・・・・あの質素倹約を旨とする佐賀公とも思えぬと皆驚いておりました」

「・・・・・・未だに昔の女を忘れられぬ、未練たらしい男だと思っているのだろう」

 斉正は頬を膨らませながら杯を空けた。

「いえ、そこまでは・・・・・・」

 そう言いながらも直弼は笑いを堪えている。

「ただ、閑叟殿の姫君様に対する未練は、幕府にとってありがたい方向に働いているとだけは申しておきましょうか。未だ衰えぬ恋心故、徳川への忠誠は鉄の如く硬く、義祭同盟も思うように藩主を動かせないと聞いており・・・・・・あはは!」

 とうとう耐えきれなくなった直弼は笑い転げてしまった。

「まったく持って失礼な奴だ!」

 笑い転げる直弼に拳骨を振り上げる素振りをする斉正――――――まるで子供のじゃれあいのような酒宴は国政を預かる大老と、長崎の最前線を守る大名とは思えなかった。そしてそんな無邪気な酒宴が斉正と直弼にとって最後の宴になるとは二人とも微塵も思っていなかった。



 したたかに酒を呑み、直弼が帰ったのは夜もすっかり遅くになってからだった。久しぶりに直弼と飲んだ夜、斉正は不思議な夢を見た。はらはらと舞い散る桜風吹の中に女性が立ち尽くしている。そのすらりとした立ち姿、そして真っ白な着物の背中に流れる漆黒の髪に斉正は覚えがあった。

「国子殿・・・・・・?国子殿ですね!」

 夢の中とは思えないその生々しさに我を忘れ、斉正はその女性に声を掛けながら近寄ろうとするが、なかなか距離を縮めることができない。

「国子殿!私です、貞丸です!こちらを向いて下さい、国子殿!」

 近づく事が出来ないのならせめて声だけでもと斉正は力の限り叫び続ける。必死に呼びかける斉正の声が届いたのか、その女性は振り向いた。その振り向いた顔はまさしく盛姫その人であった。年の頃は三十代半ばだろうか、斉正が盛姫に最後に逢った頃の年頃である。

「国子殿!」

 斉正はその表情を見て言葉を詰まらせた。笑顔を浮かべていると思っていたのに、振り向いた盛姫の顔は泣き濡れていたのである。生前でさえ見たことのないその泣き顔に、斉正は戸惑いを隠せない。

「国子殿・・・・・・何があったのですか?何故そんなに泣いているのですか?私の祈りは足りなかったのならば、国子殿の冥福を祈ってどこまでも祈り続けます!だから笑顔を見せて下さい、お願いします!」

 夢の中でも良い、せめて盛姫を慰めることができれば・・・・・・そう言って盛姫に近づこうとした瞬間、舞い散っていた桜風吹は冷たい雪に変化して斉正を襲い、盛姫の真っ白な着物が紅に――――――血の色に染まったのである。

「国子殿!」

 吹き付ける吹雪の中、緋色に染まった盛姫に近づこうとする斉正だったが、そんな斉正を嘲笑うかのように吹雪は斉正を襲い、盛姫は吹雪にかき消えるように斉正の前から消えていってしまった。



 夢の中で盛姫がかき消えた瞬間、斉正はがばっ、と褥から跳ね起きた。夜気はひんやりと冷たいのに、全身に嫌な脂汗が纏わり付いている。

「夢、か・・・・・・なんて夢だ。縁起でもない」

 左手で顔を覆いながら、斉正は低く呟いた。

「殿、どうなされたのですか?」

 尋常では無い斉正の気配に気が付いた松根が、隣の控えの間から飛び込んでくる。

「松根か・・・・・・いや、少々夢見が悪くてな」

 苦笑を浮かべながら斉正は松根に夢の内容を簡単に説明した。その内容に松根の顔色が斉正以上に青ざめる。

「文粛夫人が血まみれに・・・・・・そんな恐ろしい。何か悪いことでも起きる予兆なのでしょうか」

 怯える松根に斉正は大丈夫だろうと軽く告げた。

「どうやら昨日ははしゃぎすぎて飲み過ぎたらしい。いい歳をして大人げないと、きっと国子殿が窘めてくれたのだろう。まさか四十半ばになって国子殿に叱られるとは思っても見なかったよ」

 心配する松根に対し心配するなと微笑んだ斉正だったが、その夢はその日だけで終わらなかった。二日に一度、または三日に一度必ず盛姫は斉正の夢の中に出てきては血の色に染まるのである。

「・・・・・・また、あの夢でございますか?」

 斉正が着替えをしている最中、松根が心配そうに尋ねた。さすがにこう同じような夢が続くと気になってくるものである。

「ああ。どうやら場所は桜田門のあたりらしいのだが、何故桜田門に国子殿が佇んでいるのか皆目見当が付かぬ。普通なら藩邸か大奥、または墓所がある増上寺に出てくるというのなら話は判るが・・・・・・いくら国子殿がじゃじゃ馬でも、あんな処に降り立つはずもない」

 腕を組み困惑する斉正に、松根が恐る恐る口を開く。

「姫君様は・・・・・・何か殿にお知らせしたいのですかね。もう一ヶ月近くも同じような夢を見ておりますが」

「そういえば・・・・・・そうだな。今日は国子殿の月命日だし、丁度ちゃかぽんがここに来た時から見始めたからそれ位か。それにしても今日は寒いな」

 着替えを終え、執務室に入った斉正はなかなか暖まらない部屋の寒さに辟易する。

「ええ、三月なのに今日は大雪なんです。今日は上巳の節句で登城しなければならないのに、身支度が厄介だと皆が嘆いております」

「雪?」

 斉正の顔が途端に険しくなった。自分の夢の中に出てくる盛姫も最初は桜吹雪の中にいるが、その後その桜は雪に変化する。三月という、桜の季節に降る雪――――――斉正は胸騒ぎを覚えた、その時である。

「今日の上巳の登城は中止だ!桜田門に狼藉者が現れた。皆の者、護りを固めよ!」

 藩邸の門のあたりが急に騒がしくなったのだ。しかもその内容はやけに物騒であり、その声はだんだんと近づいてきた。

「殿!庭先からの非礼、お許しくださいませ!大変なことが起こりました!」

 藩士の一人が庭先から声を掛けてきた。普段なら人を通して行われる藩主への報告なのに、障子越しとは言え庭先から藩主に声を掛けるとは尋常ではありえない。しかもその者の息はかなり上がっていて、言葉も興奮状態である。武威を誇る佐賀藩士の態度とは到底思えないその動揺振りに、松根の叱責の声が飛ぶ。

「落ち着かぬか!今回の非礼は特別に許す、何があったか申してみよ!」

 障子を開けると、そこには徒歩頭が膝を付いて控えたいた。徒歩頭は深々と一礼すると急くように報告する。

「大老が・・・・・・井伊掃部頭が登城中に水戸浪士達に襲撃され・・・・・・桜田門にて暗殺されました!」

 直弼の暗殺――――――その言葉に斉正は愕然とし、目を見開いた。



UP DATE 2011.12.02

Back   Next
 

にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
INランキング参加中。
お気に召しましたら拍手代わりに是非ひとポチをv


  
こちらは画像表示型ランキングです。
押さなくてもランキングに反映されます。
(双方バナーのリンク先には素敵小説が多数ございます。お口直しに是非v)





斉正と直弼の最後の宴は、桜田門外の変』の約一ヶ月前に行われておりました。

何故この時期に斉正が直弼を佐賀藩邸に招待したのか定かではありませんが(いつもの如くそこまで詳細な資料を見つけ出せなかっただけなのですが・苦笑)、時期的なことを鑑みると暴走しがちな直弼を説得する為だったんじゃないのかな・・・・・と思いたくなります。普通の参勤交代をしている大名達はきっと直弼を怖れているでしょうし、この時期直弼を説得できそうな人物って5年間江戸に近づいておらず、直弼と元々親しかった斉正くらいですし・・・・・。
ただ、この時期の直弼はかなり意固地になっていたようですしね。次回に詳細は書かせて戴きますが、水戸浪士の不穏な動きはキャッチしていたにも拘らず、その忠告を受け入れなかったらしいです。もし受け入れていたら日本の歴史はどう変わっていたんでしょうかねぇ。

そして個人的に嬉しかったのは、久しぶりに盛姫を登場させることが出来たことですかねぇv斉正に忠告をしていたのですが『貞丸君』は国子殿の忠告を読み取れなかったようで・・・・・盛姫も『仕方がないかのう』と諦めていると思われます。
盛姫の登場は最低でもあと2回ほど予定しておりますが、そのうち1回は今回同様盛姫の忠告を読み取れないんだろうなぁ・・・・・読み取ろうとするんですけどね(笑)


次回更新は12/9、桜田門外の変及びその余波が中心となります。(直弼と仲が良かった斉正も一時期狙われていたらしい・・・・・。)
関連記事
スポンサーサイト




 関連もくじ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ 3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ 3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ 3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ 3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ 3kaku_s_L.png 雑  記
総もくじ  3kaku_s_L.png vague~道場主・作間駿次郎顛末記
総もくじ  3kaku_s_L.png 夏虫~新選組異聞~
総もくじ  3kaku_s_L.png 紅柊(R-15~大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 葵と杏葉
総もくじ  3kaku_s_L.png 横浜慕情(大人向け)
総もくじ  3kaku_s_L.png 短編小説
総もくじ  3kaku_s_L.png 雑  記
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
【烏のまかない処~其の廿肆・ぶり大根】へ  【烏のがらくた箱~その八十六・採血注射10本分、そして睡眠時間1時間(>_】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【烏のまかない処~其の廿肆・ぶり大根】へ
  • 【烏のがらくた箱~その八十六・採血注射10本分、そして睡眠時間1時間(>_】へ