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「葵と杏葉」
葵と杏葉・開国編

葵と杏葉開国編 第三十話 直弼、桜田門に散る・其の参

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 後に『桜田門外の変』と呼ばれる事になる直弼の暗殺――――――家臣達がもたらしたその知らせを俄に信じられず、斉正は家臣の報告を否定しようと躍起になった。

「わ、悪い冗談を申すな。よりによってちゃかぽんが殺されたなんて・・・・・・そんな事、あり得るはずがない」

 家臣の報告を頭から否定し努めて笑顔を作ろうとするが、その顔は引きつり、言葉も震えている。だが斉正の僅かな希望を打ち砕くように、雪に濡れた家臣の言葉は雪よりも尚冷たく斉正の心に突き刺さった。

「残念ながら冗談ではございませぬ。たった今、彦根藩から火急の知らせが参りました。対外的には極秘裏にとの事ですが、大老と親しく、開国派である殿の身にも危険が及びかねないと・・・・・・」

 その時、別の家臣が息を切らせて庭先に転がり込んでくる。その肩には雪が積もり、はたく間も無く斉正の御前に転がり込んできた事を示していた。

「恐れながら申し上げます!只今桜田門に部下を確認にやりましたが、これだけ降りしきる雪でも隠しきれないほどのおびただしい血で染まっていたとのこと!尾張殿を始め、すでに多くの大名が桜田門を通っており、大老の死はすでに広まって・・・・・・」

「もう良い!下がれ!」

 報告の途中であったが斉正は激高し、声を荒らげて家臣達を下がらせる。そして部屋に閉じこもると座り込みがっくりと肩を落とした。その憔悴振りは声を掛けることさえ憚られる雰囲気を漂わせていたが、その空気を打ち破るように松根は斉正に声を掛ける。

「殿、今から彦根藩邸に使いを出しましょうか?それとも私自ら出向いて彦根に話を聞いて・・・・・・」

「ならば・・・・・・松根、お前自ら彦根藩邸に出向いてくれ。頼む」

 辛うじてそう松根に命じると、斉正は松根から顔を背け、低い嗚咽を漏らし始めた。



 斉正の命を受けた松根が彦根藩邸から帰ってきたのは暮れ六つ過ぎ、未だ止まぬ雪が江戸の町を白く染め続けている最中であった。

「今日は・・・・・・あまりにも不運が重なりました。この大雪さえなければ掃部頭のお命は奪われなかったと思います」

 斉正を始め、重臣達が藩邸大広間に揃った中、松根の報告は始まった。否、重臣達だけではない。部屋に入ることを許されない身分の者達は、隣の部屋から襖越しに松根の話に耳をそばだてていたし、さらにそれさえ許されない御徒や中間、小者達は彼らから話の伝達を受ける始末だった。

「季節外れのこの大雪の為、護衛の供侍たちは雨合羽を羽織り、刀の柄に柄袋をかけていたそうです。さらに雪で視界が遮られておりましたので、襲撃者にとっては格好の日和だったようです」

「確かに、この天気では・・・・・・」

 斉正の呟きに重臣達も深く頷く。それほど今日の雪は尋常な降り方では無かったのである。

「さらに油断もあったのであろうと、彦根の家老は申しておりました。幕府開闢以来、江戸市中で大名駕籠を襲うなどあり得ませんでしたから・・・・・・彦根には以前より各所から警告が成されていたそうなのです。しかし、掃部頭は『護衛強化は失政の誹りに動揺したとの批判を招く』と、あえて護衛を強化しなかったそうです。それもこの度の不幸を招いた原因かと思われます」

 彦根藩江戸家老から直接聞き出した松根の報告に、斉正は目に涙を浮かべながら唇を噛みしめた。

「襲撃者たちは武鑑を手にして大名駕籠見物を装っていたそうです。そして駕籠が近づくや否や、駕籠訴を装った者が行列の供頭に近づき、やにわに斬り捨てたと・・・・・・そうやって護衛の注意を前方に引きつけておいた上で何者か銃を駕籠にめがけて発射し、襲撃本体が掃部頭の駕籠に襲撃を仕掛けたとの事です」

「・・・・・・ということは、ちゃかぽんは銃によって殺されたのか?」

 直弼が銃撃を受けたと聞いて斉正の表情が途端に厳しくなる。だが、斉正の質問に松根は首を横に振った。

「いいえ、致命傷では無かったのですが、銃撃によって掃部頭は腰から下にかけて銃創を負ったそうで・・・・・駕籠かきだけならともかく、掃部頭を守らねばならないはずの藩士の多くが銃撃に驚いて遁走したそうです。それでも数名の供侍達が掃部頭の駕籠を動かそうとしたのですが、銃撃で怪我を負った者が多かった上に襲撃側に斬りつけられて、掃部頭の駕籠は雪の上に放置されてしまったのです。」

「何と・・・・・・」

 その場にいた重臣達も悲しげに溜息を漏らす。悲しみに満ちた重苦しい気配が漂うが、松根は淡々と聞いてきた話を報告し続けた。

「何せこの雪です。刀を雪から守る為彦根の藩士達は両刀に柄袋をかけていて、咄嗟に抜刀できなかったのも災いしました。鞘のままで抵抗したり、素手で刀を掴んで対抗した者、その為指や耳を切り落とされた者も数知れず・・・・・・掃部頭の駕籠に次々と刀が突き立てられたのはそんな状況の時だったとの事です。敵の一人が駕籠の扉を開け放ち、掃部頭を引きずり出すと刀を振り下ろして・・・・・・」

 さすがにそれ以上の事は口にする事が出来ず、松根は青ざめた顔で黙りこくってしまう。その沈黙で斉正を始め、重臣達は直弼の首がその時に斬られてしまったことを知った。

「しかし戦いの中、それを見ていたものが居たのか?それとちゃかぽんの首は?」

 沈黙してしまった松根を、促すように斉正が尋ねる。

「御意・・・・・・門の内側にいた何名かがそれを目撃したそうです。また掃部頭の首は若年寄の邸宅に持ち込まれたそうなのですが、所在をつきとめた彦根藩側が年齢と体格が掃部頭に似た加田という者の首と偽ってもらい受けたとの事です。そして首は彦根藩邸に戻ってきたのですが、たまたま私はその場に居合わせまして・・・・・・御殿医が胴にその首を繋げるまで確認しておりましたので遅くなりましたが、その首は間違いなく掃部頭の首でございました」

 松根の報告はそこで終了した。周囲からはすすり泣きの声が漏れ、広間は重苦しい空気に包み込まれる。

「・・・・・・そうか、首だけは取り返したのだな」

 嗚咽の中、斉正は声を絞り出した。

「御意。家臣として最低限の務めは果たしたと・・・・・・ですが、主君の命を奪われ、赤備の武勇』はすっかり地に落ち、泥にまみれたと、彦根の家中は歯がみして悔しがっておりました」

 松根の言葉に斉正は深く頷く。

「だろうな。ちゃかぽんもちゃかぽんだ。あれほど周囲から備えを厚くしろと散々言われていたのに、見栄を張って・・・・・・うつけが!」

 斉正は悔しげに言い捨てると顔を横に背けた。俄には信じられなかった親友の死は、忍び寄る寒気の如く斉正の心を蝕み、包み込む。いつの間にか斉正の頬には涙が伝い、その熱い雫は止めどなく流れ続けた。



 当時の公式記録は『井伊直弼は急病を発し暫く闘病、急遽相続願いを提出、受理されたのちに病死』となっている。これは譜代筆頭井伊家の御家断絶とそれによる水戸藩への敵討ち、また暗殺された直弼自身によって重い処分を受けていた水戸藩へさらなる制裁を加える事への水戸藩士の反発といった争乱の激化を防ぐ為の、残された幕府首脳による破格の配慮であった。
 井伊家の菩提寺・豪徳寺にある墓碑に直弼の命日が『三月二十八日』と刻まれているのはその為である。これによって直弼の子・直憲による跡目相続が認められ、井伊家は取り潰しを免れた。
 直弼の死を秘匿するため、存命を装って直弼の名で桜田門外で負傷した旨の届けが幕府へ提出され、将軍家からは直弼への見舞品が藩邸に届けられている。これに倣い、諸大名からも続々と見舞いの使者が訪れ、佐賀藩からも中村彦之允が見舞いの品を届けに行った。

「まったくふざけておりますよ!」

 『見舞い』から帰ってきた中村が、憤懣やるかたないといった表情で斉正に対して愚痴を零す。

「確かに体裁は大事でしょう。しかし、大老を自ら手にかけた水戸藩がのこのこと出てきますか?人をこけにするのも大概にして欲しいものです!」

「落ち着け、中村。水戸には水戸の事情というものがあるのだから」

 中村のあまりの剣幕に斉正自らが窘める。だが中村の怒りは収まらない。

「これが落ち着いて居られますか!彦根藩士たちの憎悪に満ちた視線の中で、重役の応接をのうのうと受けたそうですよ!どこまで厚顔無恥なんだか!」

 藩主同士の仲が良かった為、佐賀藩士も彦根に対しては好意的な感情を持っている。それだけに直弼を暗殺した水戸藩憎しの感情は致し方がないのだろう。

「表向きは闘病中とされてるだけに掃部頭の為に彦根藩邸では空しすぎる病気平癒祈願を行なっているんです。そんな中に・・・・・・あまりにも彦根の奴等が気の毒ですよ!」

 苛立ちを露わにする中村に対し、斉正は気になっていた事を尋ねた。

「だが、さすがに今月中には葬儀をするのだろう」

「ええ、今月の二十八日を予定しているそうです。そして、その件に関して、殿におかれましては掃部頭の葬儀の前に佐賀に出立なされるよう、彦根から仰せつかっております」

 中村の言葉に斉正は怪訝そうな表情を浮かべる。

「・・・・・・何故、ちゃかぽんの葬儀に出ることがかなわぬ?」

 斉正の疑問に、中村は何故か声を潜め、囁くようにその理由を斉正に告げた。

「襲撃を指揮した関という男が未だ捕縛されていないそうです。なので葬儀の混乱に乗じて井伊殿に賛同していた大名達を暗殺しかねないと」

 中村の言葉に斉正は納得げに深く頷く。

「そうだな。あまり彦根に負担をかけてはならぬか。ならば佐賀に出立する前に一度お忍びで『見舞い』に行こう。中村、彦根に先触れを。今夜伺うと」

「御意!」

 今までの不機嫌が嘘のようににっこり笑うと、中村は先触れを出す為に早速行動に移る。その変わり身の早さに斉正は呆れたように苦笑を浮かべた。



 その晩、斉正は早速必要最小限の供揃えで彦根藩邸を訪問した。

「佐賀公!この様な時期、夜中にいらっしゃるなどと・・・・・・不逞の輩に襲われでもしましたら、我が主君に顔向けが出来ませぬ」

 家老・岡本半介自ら斉正を出迎え慌てふためくが、斉正は気にした風もなくけろりとしている。そんな斉正に代わり中村がその理由を述べた。

「参勤で夜道は慣れております故、後れを取ることはありませぬ。むしろこの供揃えでは夜の方が幕府や町人、そして襲撃者を刺激しないでしょう」

 そう中村が指し示した斉正の供揃えは極めて厳重なものであった。提灯持ちと従者として付いてきた松根と中村以外全員ゲベール銃を持ち、その姿も暗闇に溶け込む暗灰色の洋装である。『襲撃を受ける可能性があるのならいっそ西洋式の軍備を試したい』という斉正の思いつきからの西洋式供揃えだったが、確かにその姿で昼間動くことはできない。

「三日後に江戸を出立する事になりましたので、その前に掃部頭への『見舞い』にやってきました」

 中村に代わり今度は松根が岡本に事情を説明した。

「そうでございましたか・・・・・・我が殿はこちらでございます」

 岡本は涙ぐみながら頷くと、直弼の亡骸が安置されている部屋に斉正を案内した。部屋が煙るほど香が焚きしめられたその部屋の中央に、直弼は安置されている。

「ちゃかぽん・・・・・・」

 斉正は直弼の亡骸に近づくとそっと顔にかかっていた白布をどけた。その顔は苦悶に歪み、無念さを滲ませているようである。

「ところで跡目相続は?」

 斉正は直接岡本に語りかけた。

「何とか許されそうです。これ以上大事にしたくないという、幕府の思惑もございまして」

「それは何より」

 御家大事のこの世の中、取り潰しにならないことが第一である。それが叶っただけ良しとしなくてはならない。

「何かあったら遠慮無く声を掛けて欲しい。できる限りの事はしよう」

「ありがとうございます・・・・・・」

 斉正の言葉に岡本は涙に暮れ、深々と頭を下げた。



 開国によって阿部正弘が示した雄藩との協調体制を否定し、伝統的な幕閣主導型の体制と秩序を復活させ、朝廷の政治介入を阻止しようとした直弼の目論みは、桜田門外の変によって潰えてしまった。そればかりか、江戸定府で『副将軍』を自称する水戸藩と、譜代筆頭の彦根藩が仇敵となってしまったのである。
 幕府の結束に亀裂が入ってしまった『桜田門外の変』により長年持続した江戸幕府の権威も大きく失墜、幕府政治の安定性も損なわれ、文久期以降に尊王攘夷運動が激化する端緒となる。
 そして、斉正自身もこの事件をきっかけに幕府との距離を置くようになるのだが、それにも拘わらず動乱の渦に巻き込まれていくことになる。



UP DATE 2011.12.09

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ちゃかぽん、とうとうお亡くなりになってしまいました・・・・・(T_T)
建前上、この時点では『直弼は闘病中』となっておりますが、何せ何十人もの血が雪の上にばらまかれている状態ですので隠すこともままならず、あっという間にこの事件は江戸中に広まったそうです。
ただ、斉正と直弼の関係だったら彦根藩から直接報告があってもいいかな、と。
さすがにこの直後は斉正の護衛は厳重になったそうですが、この話のような『西洋式』ではございませんのでご了承を(笑)。さすがにこの時点でこの供揃えを江戸でしてはいけないでしょう(佐賀領内では鍛錬中ならありえたかもしれませんが・・・・・というか伝習所とかで洋服着ていなかったのかしら?)

この話をもって開国編は終了します。本編では次回から最終章『維新編』に突入するのですが・・・・スミマセン、諸々の事情で維新編開始は年明けからとさせて戴きます。(自分の体調&弟の入院、そして主婦の年末行事がね・・・元々出来の悪い主婦なんです・爆)
その代わり年末までの3週間は責姫&直侯を主人公にした外伝3作をUPいたします。斉正が江戸に居なかった5年間をさくっとやっておこうかなと・・・・・思うんですが、結局新婚さんのラブラブ甘々な話になりそうです(爆)

では来週からの3週は外伝を、年明けからは維新編をお楽しみくださいませv
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