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「葵と杏葉」
葵と杏葉・維新編

葵と杏葉維新編 第三話 斉正隠居・其の参

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 大老・井伊直弼が暗殺されて一年と経たない内に、再び老中が攘夷派浪士によって襲撃される――――――そんな事件が起こったのは一月十五日、直縄の元服を終えた斉正が長崎警備の穴を空けまいと一足先に佐賀に発った直後のことであった。



 桜田門外の変で井伊が暗殺された後、幕府の実権を握った老中・安藤信正は開国路線を継承し、幕威を取り戻すため公武合体を推進した。この政策に基づき、幕府は和宮降嫁を決定したが、尊王攘夷派志士らはこれに反発、安藤らに対し憤激したのである。
 丙辰丸の盟約に基づき、水戸藩や長州藩の攘夷派によって安藤暗殺や横浜での外国人襲撃が計画されたが、長州藩内では長井雅楽の公武合体論が藩の主流を占めるようになり、藩士の参加が困難となった。

「今の藩の現状では、安藤の暗殺は不可能である。できることなら計画を延期して貰いたい」

 現時点では不可能でも、丙辰丸の盟約を律儀に守ろうとする長州側は計画の延期を提案したが、機を逸することを恐れた水戸側は長州の後援なしに安藤暗殺を実行する事としたのである。
 水戸志士らは宇都宮の儒学者大橋訥庵一派と連携して、安藤の暗殺計画を進めた。当初は十二月十五日に決行する予定であったが、諸事情から十二月二十八日、更に延期され、上元の嘉例の式日で諸大名が総登城し将軍に拝謁することになっている一月十五日に計画を決行することになったのである。
 しかし決行直前の一月十二日に計画の一部が露見し、大橋ら宇都宮側の参加者が幕府に捕縛されてしまった。

「・・・・・・やむを得ぬ。残った六名だけで計画は決行する!」

 その声明の下、一月十五日朝の襲撃に集ったのは水戸藩浪士・平山兵介、小田彦三郎、黒沢五郎、高畑総次郎、下野の医師・河野顕三、越後の医師・河本杜太郎の六名であり、安藤の行列が坂下門外に差しかかると、行列を襲撃したのである。

 最初に直訴を装って河本杜太郎が行列の前に飛び出し、駕篭を銃撃した。弾丸は駕篭を逸れて小姓の足に命中、この発砲を合図に他の五人が行列に斬り込んだ。警護の士が一時混乱状態に陥った隙を突いて平山兵介が駕籠に刀を突き刺し、安藤は背中に軽傷を負ったが、城内に逃げ込んだ。
 桜田門外の変以降、老中はもとより登城の際の大名の警備は厳重になっており、当日も供回りが五十人以上いたため、浪士ら六人は暗殺の目的を遂げることなく、いずれも闘死した。警護側でも十数名の負傷者を出したが、死者はいなかった。
 また、水戸藩浪士・川辺左次衛門も当初計画に参加していたが、遅刻したため襲撃に参加出来なかった。遅刻した川辺は長州藩邸に斬奸趣意書を届けた後切腹する。

 安藤暗殺には失敗したものの、桜田門外の変に続く幕閣の襲撃事件は幕府権威の失墜を加速した。この事件を契機として、安藤は四月に老中を罷免、八月には隠居・蟄居を命じられる事となる。



 坂下門外の混乱が燻っている最中の二月十三日、将軍・家茂から片諱を授けられ直縄は茂実と名を改めた。そして将軍御目見に当たり、松平信濃守を称し従四位侍従に叙せられた茂実は、義理の従兄弟である宇和島藩主・伊達宗徳に同道され、藩主として初めて江戸城へ登城することとなったのである。

「しかし良かったな、淳一郎・・・・・・じゃない、ここでは信濃守だな。婚礼の儀の四日後に御目見で」

 確かに坂下門外の変は深刻な事件で、大名や旗本達の話題の中心であった。だが、それはあくまでも将軍の婚礼前の話であって、今は将軍と和宮の婚姻の話で城内は持ちきりである。そんな中、茂実は伊達に連れられて従四位の謁見の間である江戸城大広間へと向かってゆく。

「この度のご婚礼は相当華やかなものだったようですね」

 緊張の面持ちながら、やはり耳に入ってくる噂話は気になるらしい。茂実は同い年の将軍の婚礼について伊達宗徳に尋ねた。

「そうか、お前は御目見前だったからあまりよく知らないのか。坂下門外の変で失墜した幕府の維新を取り戻そうとしたかったのか、それとも朝廷側の要求だったのか、将軍家らしくもない、無駄に派手な婚礼だったぞ。だが・・・・・・」

 宗徳は茂実に対して険しい表情を露わにする。

「幕府はこれで最低限の維新が保てるだろうし、朝廷は政治への発言権を増やせるからそれはそれで良いだろう。気の毒なのは大樹公だ。皇妹なんて気位ばかり高くて御台所として役に立つまい」

「はぁ・・・・・・」

 宗徳の毒舌に茂実は返答に困り、気のない返事をする。

「正妻というものは同じくらいの身分か、低いくらいが丁度良い。なまじ身分の高い嫁を貰うと後々苦労するぞ、信濃守」

 思わず淳一郎、と呼びかけそうになったのを慌てて飲み込み、宗徳は先輩ぶって茂実に忠告した。

「そんなものですか・・・・・・ねぇ。父の話を聞く限りそうでもなさそうですが」

 いかにも判ったような口ぶりの宗徳に、さすがに茂実も疑問を口にするが、宗徳は肩を竦めながら苦笑する。

「叔父上のところは特別だ。佐賀に嫁いだ姫君様は変わり者・・・・・・もとい、賢婦だったと先代が申しておった。文恭院様の時は子供が多く、姫君教育が行き届かなかったのが佐賀に幸いしたのだと。それと今回の降嫁を一緒には出来ぬだろう」

「確かに・・・・・・そうかもしれませんね」

 宗徳の言葉に茂実は納得した。そもそも武士の結婚に己が意思など関係ない。ただ家や政治の関係で結ばれる『契約』なのだ。それを不憫と思うのはあまりにも不遜――――――茂実は思い直し、宗徳に続いて大広間へと入っていった。



 緊張しながらもどもる事もなく、茂実は挨拶を終えた。そして退出しようとしたとき、側用人に呼び止められたのだ。

「鍋島、上様がお呼びだ。こちらに参れ」

 そう言われて茂実はどうしたらよいのかと伊達の方をちらりと見たが、伊達は茂実を促すように頷いた。

「御意。では失礼仕ります」

 茂実は深々と一礼すると将軍がいる御簾に近づき、さらに改めて深々と頭を下げる。

「楽にせよ、鍋島」

 あまりに緊張している茂実を見かねたのか、茂実を緊張を解きほぐすような穏やかな青年の声が御簾の中から聞こえた。

「確か、そなたの父は己より身分の高い徳川宗家の姫を妻にしていたと聞くが」

「御意。孝盛院様は確かに父の許に降嫁して参りましたが・・・・・・」

 将軍が何を聞き出そうとしているのか皆目検討がつかない。茂実は慎重に言葉を選びながら将軍・家茂の言葉に答える。

「そうか。実は、鍋島の先代夫婦は誰もが羨むほど仲睦まじかったという話を小耳に挟んでな。良かったらその極意を聞きたいのだが」

 やはり身分が上の新妻を持て余しているのだろうか。もしかしたら茂実が同年代と言うこともあり気安かったのかも知れないが、将軍自らが私的な話を御目見に来た大名に語るというのは極めて異例である。どう答えて良いものか迷った茂実は、横にいる側用人の方をちらりと見やる。

「上様、御目見にやってきた若輩にその話は荷が重すぎましょう。ましてや鍋島はまだ独り身の筈――――――鍋島よ。今の話、それとなく先代に伝え、書状にて上様に返答を奉るようにせよ。」

 普通であったら単に受け流すだけであろうが、茂実に対し側用人は斉正の返答を求めた。武家と公家の違いはあるが、己より身分の高い妻を押しつけられながら仲睦まじかった例は極めて少ないし、噂では知的障碍のある今の妻ともうまくやっているらしい。多くの女性を侍らすのとはまた違った、女性の扱いのうまさに側用人は賭けているのかも知れない。

「承知いたしました。では父にその旨、申し伝えておきます」

 思わぬ展開に心臓が飛び出しそうにどきどきと鳴っている。それを鎮めるように直縄は小さく息を吸い、深々と頭を下げた。



「身分が上の妻との・・・・・・夫婦円満の極意、だと?」

 茂実の元服式が終わった後、長崎警護の為先に佐賀に戻っていた斉正は茂実からの手紙に唖然とし、傍にいた松根を始めとする古くからの家臣達は思わず吹き出した。

「松根!吹き出すとはどういう事だ?」

 不機嫌そうに松根を睨み付ける斉正だったが、松根の笑いは止まらない。

「申し訳ございませぬ・・・・・・しかし大殿の場合、姫君様のご尽力が殆どで、殿は殆ど姫君様に甘えていただけじゃないですか」

 松根の指摘に、中には後ろを向き腹を抱えて蹲るものも出始める。斉正としては面白くないが、確かに松根の指摘通りだけに何も言えない。

「悔しいが、松根の言うことは尤もだ。国子殿が私にあわせて、心を沿わせてくれたからあの苦難を乗り越えることが出来たようなものだし・・・・・・だが、宮様にそれを求めるのは難しいだろうな」

 斉正の言葉に、その場にいたものは急にしんみりとなってしまった。確かに盛姫の献身ぶりを、幼くして江戸に連れてこられた和宮に求めることは酷であろう。

「そうだな。上様に進言できるとしたらただ一つ、東下して心細い想いをなされている宮様の味方にあり続けること――――――それくらいかな。」

 開国直前、バレンバン号の船長から受けた忠告を幕府に進言しても受け入れられ無かった時期、盛姫は斉正に対し『幕府や日の本中が敵になっても自分だけは味方でいる』と言ってくれた。その一言にどれだけ力を得られたか――――――懐かしそうに斉正は呟く。

「大殿、でしたらその事を上様へ進言なされては如何でしょうか。他の者が言っても軽い言葉ですが、殿の進言でしたら・・・・・・」

「そこまで買いかぶるな。だが、ご婚礼の祝いも兼ねて爺の昔語りも悪くないのかも知れないな」

 さすがに呼び出されもしないのに登城はできない。斉正は家茂宛に改めての婚礼祝いの口上として手紙を認めることにした。



 ただでさえ忙しい将軍からの返事はまったく考えていなかった。斉正としてはあくまでも『年寄のお節介』とばかり一言『何があっても宮様の味方であらせられますように』と認めただけである。しかし、五月に佐賀に戻ってきた茂実が将軍からの返事を預かってきていたのだ。私的なものとはいえ、これは極めて異例なことである。

「就封の直前、上様から呼び出されました。父上の言葉に相当感謝されておりまして、こちらが驚いたほどです」

 そう言いながら将軍からの書状を差し出した。その中身を見ると、どうやら上巳の節句の際、雛人形の飾り方で天彰院側と和宮側で衝突があり、その際、斉正の進言通り――――――あくまでも表立ってではないが――――――家茂は全面的に和宮の味方をしたらしい。

「・・・・・・以後、宮様のお心がほぐれたと書いてある。田舎隠居のお節介にこの様な丁寧な返事を下さるとは・・・・・・きっと政治も同様に丁寧に進めてくださるに違いない」

 その言葉にその場にいたものは安堵の表情を浮かべる。

「と、なりますとやはり公武合体へ状勢は流れそうですね――――――それと、話は変わりますが」

 茂実は急に深刻な表情になる。

「焦りからなのでしょうか、江戸の坂下門外の変もそうなのですが、京都でもだいぶ尊皇攘夷派の過激な動きが増しております。そして明らかに冤罪かと思われるのですが、昌平黌へ留学をしておりました鉄砲組頭中野武明の子・方蔵が坂下門外の変の連座を疑われ、幕府に捕縛されました。父上、藩としてどのように動くべきなのか、ご指導を賜りたいのですが」

 まさか坂下門外の変がこの様な形で佐賀に関わってくるとは――――――茂実のその報告に、斉正を始め全員の表情が凍り付いた。



UP DATE 2012.01.20

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本当にこの頃、事件やイベントが相次ぎます。だからこその『幕末』なんでしょうけど(笑)
公武合体に反対した攘夷派志士たちが老中・安藤が襲撃されるという『坂下門外の変』が起こって一ヶ月と経たない内に家茂と和宮の婚礼----------幕府としては威信を保ちたかったのでしょうけど、この慌ただしさって(>_<)
こんな中、まったく知らない土地にやってきて、将軍と結婚しなければならなかった和宮は相当心細かったんだろうな~と改めて思いました。さらにこの直後(だろうと思われる)江戸側との『雛人形の飾り方』の違いによるトラブルもありましたしねぇ。(武家は『雛壇』に飾るけど、公家は部屋に平らに並べるんですよね。本来は公家側が正統らしいのですが、『部屋が狭い』武家の雛人形は雛壇に飾らざるを得なかったらしい・・・・)

そして『坂下門外の変』で佐賀の藩士が冤罪?で捕縛されてしまいました。詳細は次回になりますが、この事件が原因であの有名人が動き出します(笑)次回からの三話が露骨に『江藤脱藩』ですのでどなたか判ると思いますが(爆)。ではでは次回1/27をお楽しみくださいませ(^o^)
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