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「葵と杏葉」
葵と杏葉・維新編

葵と杏葉維新編 第五話 江藤脱藩・其の貳

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 激しい雨が叩き付ける中、江藤は一人小城藩北端にある大野村を目指し、ぬかるんだ山道を歩いていた。

「厄介な雨だな。いや、恵みの雨と言うべきなのか」

 雨空を見上げながら江藤は呟く。雨の中、往来の多い街道よりさらなる悪路になるこの道を追っ手がやって来るとも考えにくい。本当なら梅雨真っ直中に脱藩を実行したかったのだが、諸般の事情によりそれは叶わなかった。故にこの雨は江藤にとって恵みの雨と言っても良いだろう。
 さらに大野村に辿り着けば友人で山内目代である富岡敬明が待っていてくれるはずである。富岡とは少年時代通っていた永田右源次道場での修行以来の知古であり、脱藩の計画もすでに富岡に連絡してあった。

 余談だがこの富岡という男少々酒癖に難があり、過去小城藩の世継ぎである鍋島三平の側役を始め、江戸藩邸の御留守居介役、御留守居添役、西丸聞番差次、神田橋御門番頭、総目附兼文武方指南役を歴任したという実力者ながら、酒の上での失態により今現在は左遷され山内目代となっているという経歴を持つ。だが、今回ばかりはそれが江藤に有利に働いていた。

「正直富岡さんが大酒呑みで良かったのか悪かったのか・・・・・・富岡さんが酒の失態で代官になっていてくれなければ、この方法は使えなかったからなぁ」

 大野村から筑前に向かう間道に関しては富岡に手引きして貰う予定でいる。そこが唯一本藩の関係者に見つからず、密かに佐賀を抜け出すことができる道であった。

「まずいな・・・・・・だいぶ暗くなってきた。もうじき日暮れか」

 分厚い雨雲で判りづらかったが、気が付けば辺りはだいぶ暗くなっていた。変装も兼ねて身につけた蓑のおかげで身体は濡れていないが、足許はすでに泥にまみれ、叩き付ける雨が頬を濡らす。まだまだ大野村まで距離があり、夏とは思えぬ雨の冷たさと足に絡みつく泥に心が萎えそうになる。

「この程度の雨に負けるか・・・・・・俺は絶対に京都に行かなければならぬのだ!」

 中野の仇を討つ為にも、そして京都の現状を攘夷派浪士の視線――――――すなわち下級武士の視点から把握する為にも自分は京都に行かなくてはならないのだと、江藤は泥に取られる足を引きずりつつ、富岡が待つ大野村へと進み続けた。



 藩庁の人事担当部署から斉正の許に江藤新平の脱藩が伝えられたのは夕餉の後の事であった。

「江藤・・・・・・火術方に属しているあの江藤か?」

 担当者から江藤脱藩の報告を聞いて斉正は険しい顔をする。

「確か以前『図海策』とかいうおもしろい提言書を書いた男だったな。貧しい家の出ながら聡明で、将来を嘱望されていた筈だが」

 よっぽど印象に残っていたのか、斉正は江藤のことを覚えていた。そんな斉正の言葉に担当者は頷いた。

「大木の話によりますと、どうやら獄死した中野の遺志を継ぐ為に脱藩したと思われます。藩庁宛にこの様な理由書を残していったとか」

 斉正は渡された江藤の手紙を見て唸った。そこには『――――――方今の時勢は大事の機会到来(中略)天下の御大事を量り度し――――――』と脱藩の目的が切々と書かれていたのである。

「一体何を目論んでいるのだ、あの男は?攘夷派に加担する訳ではなさそうだし、『形勢の行方が判明したら早期に帰藩したい』とは・・・・・・うつけか、あの男は?」

 脱藩の罰は良くて切腹、普通なら斬罪でも文句は言えない。それなのに帰藩とは――――――この様な疑問を抱いたのは勿論斉正だけではなかった。

「そこが我々にも理解できぬところなのです。こう言ってはなんですが、江藤がやろうとしている事は古川殿が今現在京都で行っている事とそう変わらぬと思われますし」

 確かに担当者の指摘は尤もである。しかし、斉正は別の見方を提示した。

「・・・・・・だが、松根は公卿や幕府高官としか接触できぬ。実際に行動を起こしている過激な攘夷志士との接触が可能なのは、確かに江藤のような身分の者だろう」

 何か思うところがあるのか、斉正は黙りこくってじっと何かを考える。そして暫くの沈黙の後、斉正は目の前にいる担当者に命じた。

「しばらくの間江藤を泳がせておくように。本来なら斬罪だがこの情勢下、何を掴んでくるやもしれぬ。藩主にもそう伝えよ。ただ、万が一敵に捕縛されそうになった時は・・・・・・」

「――――――御意」

 一番下っ端とはいえ、火術方に属していた男である。藩の機密が漏れる可能性が出てきたらこの手で処分しなければならない。激しい雨の音が微かに聞こえる広間の中、重苦しい沈黙だけが流れていった。



 半月後の七月中旬、江藤はようやく伏見に到着した。汗と埃に汚れた顔には晴れ晴れとした笑顔が浮かんでいる。

「まずは長州藩邸・・・・・・だな」

 そこには攘夷派志士の代表格である桂小五郎がいるはずである。まずはそこからつなぎを付けて情報を収集する。そしてかき集めた情報を全て佐賀に残っている同志に送り届け、藩上層部に渡して貰えれば藩が中野の仇を――――――攘夷派の粛正に乗り出してくれるに違いない。途中寄った長州藩で紹介状も貰った。江藤は懐に忍ばせた紹介状を確認すると洛中に向かって歩き始めた。
 そして次の日、江藤は長州藩藩邸に出向き、桂との謁見を取り付けた。暫く藩邸の一室で待たされていると、江藤が待たされていたその部屋に、一人の青年が入ってきた。

「君が佐賀藩の江藤君、ですか?初めまして、僕が桂です。藩からの紹介状は確認させて貰いました」

 端正な顔立ちの青年は人なつっこい笑みを浮かべながら江藤に会釈をする。

「貴方が・・・・・・桂小五郎殿ですか?」

「ええ。そうですけど・・・・・・何か?」

 穏やかな笑みを浮かべる桂に対し、江藤は恥ずかしげに俯いた。

「それがしが、思っていた以上にお若いので驚きました」

 藩政府中枢で頭角を現し始め、内外に名を知られている桂なだけに、江藤はてっきり自分よりだいぶ年上と想像していたのだが、どう見ても自分とほぼ同年代にしか思えない。後に知ることになるが、桂は江藤の一歳年上である。

(自分は・・・・・・一体何をしているのだろう?)

 桂も長州藩の下級藩士だったと聞いている。それが今や藩を動かすほどの力を持っているのだ。義祭同盟に参加していながら未だ火術方目付でしかない自分とは雲泥の差である。

(藩を動かすことは無理だとしても・・・・・・せめてこの度の働きだけは認めて貰わなければ!)

 まだまだ自分は上を目指し、藩の為、そして国の為に『何か』をしなくてはならないのだ。それが『何』であるか確たる形にはなっていないが、ここであらゆる事を見聞し、それを見つけ出さなくてはならない。長州の実力者として眩しいほどの輝きを放つ桂を前に、江藤は決意を新たにした。



 この桂小五郎との面会を手始めに、江藤は関係者と精力的に接触して情報探索に奔走し始めた。そして間もなく尊攘派公家の中心人物・姉小路公知に気に入られ、側近に加えられたのである。その信頼振りは八月二十六日に姉小路を通して孝明天皇の許に『密奏書』を提出し、まず幕府から外交権を接収し漸次王権復古に及ぶべきだと献策した事からも窺い知る事が出来るだろう。
 そのような姉小路の信頼の下、情報を手に入れた江藤はそれらを次々に国許の同志・大木に報知し、閏八月二十六日にも『京都検見聞』と題した報告書を送った。この報告書には朝廷、幕府、諸般などの動向と内情を詳細に綴ったもので、その情報量の多さは驚くべきものであったと言われる。

 さらにこの報告書に添えた大木、坂井辰之允宛の書簡で江藤は『尊王攘夷を高唱する堂上方は其の手段を御考明は之れ無く』、『格別英明の御方も承りに及ばず』と朝廷の空論と無能を指摘している。また薩長を始め『仙台・肥後・筑前・土州其の外(中略)諸藩順々上洛したが名を収め、功を貪り。終に五覇互いに起るの基を相開いて崩壊の勢いとなった』と雄藩の上洛競争も批判していた。



「・・・・・・という訳でございます、古川様。江藤が命がけで収集した情報を、是非とも大殿にお通しして欲しいとあやつも望んでおりまする」

 そう言って大木と坂井は、謁見を申し込んだ松根に対して『京都見聞』を差し出した。本来なら請役の茂昌を通すべきなのだろうが、実際に京都に出向き、斉正上洛の許可を取ってきた松根の方がこの内容の正誤を正しく判断し、未だ藩の実権を握っている斉正に通して貰えると考えたからである。

「まったく江藤の奴・・・・・・よくぞここまで集めたものだな」

 松根は『京都見聞』の最初の数頁を見て感心する。自分でさえなかなか集めることが出来なかった情報を的確に、事細かに集めて整理されていた江藤新平のその能力に感服した。

「これなら大殿に出しても問題無いだろう。お前達も来い。これを提出して江藤の罪一等を減じて貰う」

 それは上洛し、京都の状勢を肌で感じていた松根だから下すことができた判断であった。今、江藤を断罪にしたら佐賀はこの動乱の中、進むべき方向を誤りかねない。それほどの情報がこの『京都見聞』には詰まっていたのである。

「――――――承知しました。ありがとうございます、古川様!」

 江藤の決断、そして京都での努力は無駄ではなかった――――――安堵した大木と坂井は松根の後に続き、斉正の許へ向かった。



 松根の口利きによって江藤の報告書『京都見聞』は誰にも邪魔されることなく斉正の許へ無事届いた。

「これは・・・・・・!」

 差し出された『京都見聞』を斉正は貪るように読む。そこには松根が収集してきた情報だけでは得られなかった、多くの情報が網羅されていたのである。

「実際上洛した私でも舌を巻くほど詳細な報告書です。これは大殿の上洛に役立つのではないかと思うのですが」

 夢中になっている斉正に対して、半ば無駄だと思いつつも松根が言葉をかけた。これほどこの報告書に心惹かれていれば江藤の罪を減じて貰えるかも知れない――――――松根はそう判断し、さらに踏み込んだ一言を口にする。

「これほどの逸材、脱藩の罪はあれど切腹に処するのは勿体ないのでは・・・・・・」

 その時である、斉正の動きが不意にぴたり、と止まり、みるみるうちに険しい表情を浮かべたのだ。その動きに松根を始め背後に控えていた二人の表情も強張る。

(まずい。この提言は早すぎたか)

 だが三人の心配は杞憂であった。斉正の動きが止まった理由――――――それは報告書に書かれた一行であった。

「これは・・・・・・本当のことなのか!井伊家が・・・・・・ちゃかぽんの失政を理由に、石高を十万石も減らされ、京都守護の家職を剥奪されたとは」

「何・・・・・・ですと!それは誠でございますか!」

 報告書の最初の方しか読んでいなかった松根は、斉正の一言に共学の表情を浮かべ、腰を浮かせる。そして斉正は蒼白な顔で眦を吊り上げる。

「・・・・・・しかも、閏八月一日付けで会津侯が京都守護職に宛てられた、だと?」

 それは幼き頃より斉正に仕えていた松根でさえ、今まで聞いたことがない、冷たい怒りに震えた声であった。



UP DATE 2012.02.03

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江藤君、かろうじて脱藩に成功し桂小五郎や姉小路公知とも接触をいたしましたvこの名前が出てくると本格的に『維新』って感じですよね~。ちなみに一番気になるのは富岡敬明ですかね~。後に色んな役職を歴任し、明治の三筆の一人と言われた人なんですけど、なかなか面白いエピソードを持っていらっしゃるようで・・・・・お酒と女性が好きだったようです(奥さんが4人って・・・・・笑)

一方脱藩された方は堪ったもんじゃありません(笑)何せ江藤は下っ端とはいえ火術方に属する藩吏ですから、どんな機密が漏れるか判ったもんじゃない。そもそも脱藩=切腹か斬罪ですから、本当でしたら松根達の助命嘆願はありえないんですよね~。しかしそれを補って余りあるほどの報告書だったのでしょう。

次回更新は2/10、幕府の彦根藩に対する仕打ちに対して斉正はどう反応するのか、そして江藤の運命や如何に----------次回をお楽しみくださいませv

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