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「葵と杏葉」
葵と杏葉・維新編

葵と杏葉維新編 第十二話 将軍文武御相手役・其の参

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 その日は一月もじきに終わろうかという時期にしては暖かく、旅をするには心地良い日であった。街道沿いに咲いている梅の香が駕籠の中にまで漂い、穏やかに進んでいく行列と相まってまるで公卿の梅見のようである。だが、駕籠の中に押込められている本人はそんな優雅な気持ちにはなれないでようだ。

「・・・・・・遅い」

 駕籠の外に聞こえないよう気を使いながら斉正は小声で呟く。

「確かに御三卿を追い越すことは出来ぬが・・・・・・それにしても遅すぎやしないか?」

 斉正がらしくない文句を呟くのも無理はなかった。上洛を急いでいるかと思えた一橋慶喜の行列に気を利かせ道を譲ったのだが、先を譲った途端一橋慶喜の行列の速度が急に遅くなったのである。確かに佐賀藩の大名行列の速度は十里から十二里ほどなのだが、一橋慶喜のその速度はどうひいき目に見ても八里、下手をすると七里半ほどしか進まないのではないかと思えるほどゆったりしていた。普通の大名行列が平均して九里ほど進むことを考えれば、これは明らかに後を進む斉正に対する嫌がらせであろう。

「あわよくば藤枝か岡部の宿までは進みたかったのだが、これでは難しそうだな」

 あまりの速度の遅さに斉正が諦観の溜息を吐いたその時である。一橋慶喜の行列を偵察しに出向いていた足軽が帰ってきたらしく、駕籠の外が俄に騒がしくなった。

「古川様、恐れながら申し上げます!一橋公は鞠子『丁子屋』にてとろろ汁を食する為、休息なされるとのこと!再びの足止めにございます!」

 明らかに苛立ちが含まれたその報告に、斉正は勿論、直接報告を受けた松根、そして周囲を固めている上級武士達の間に剣呑な空気が漂い始めた。否、上級武士達はまだ穏やかな方だろう。荷運びをしている者達に至っては苛立ちを露わに一橋慶喜に文句を言い出す者まで出る始末である。
 すでに昼過ぎ、この時間で鞠子までしか進んでいないと言うことは、慶喜の宿泊はほぼ間違いなくその次の宿場・岡部であろう。てっきり賑わっている藤枝まで進んでくれるとばかり思っていただけにこれは計算違いである。特に鞠子は五十三次内で一番小さな宿場であり、そこに足止めさせようという思惑がちらほらと見え隠れする。

「殿、如何致しましょうか。さすがに鞠子に宿泊は・・・・・・我らが宿泊してしまえば庶民にも迷惑をかけるでしょう。藩士達も中途半端な早さに苛立っております」

 御三卿が絡んでいるだけに迂闊なことは出来ないと、松根が疲れた声で斉正に語りかけてきた。確かに先を歩く御三卿の行列を追い越さぬよう慣れない速度で歩き続けることは精神的にも肉体的にも疲労が蓄積する。さすがにこのままでは埒があかないと斉正は決断を下した。

「・・・・・・仕方ないな。松根、久方ぶりに『提灯行列』をする。幸い次は府中だ。蝋燭の調達も容易いだろうし、一橋殿に対抗して名物の安倍川餅を食するのも悪くはないだろう。」

「しかし、大殿のお身体は・・・・・・」

「ああ、そう言えば『仮病』という名の病を患っていたな。大丈夫、むしろ遅すぎて疲れていたところだから、提灯行列は臨むところだ」

 斉正は笑いながら改めて松根に命令を下す。

「府中にて夜間行列の準備をせよ。その間できるだけ下の者は休ませるように。事と次第によったら大井川手前、島田まで強行軍をする」

 その提案に松根の表情が俄に明るくなった。松根も慣れない速度に苛立ちと疲れをため込んでいたのだろう。

「御意。では皆に伝えて参ります!」

 弾む声で斉正に言い残すなり、松根はすぐさま配下に斉正の言葉を伝えに行った。その先々から藩士達の嬉しげな雄叫びが聞こえてくる。

「苛立っていたのは私以上に藩士達だったようだな。それにしても重い物を持っている者達の方が喜んでいるというのはどういう事だ?余計に疲れそうだと思うが」

 藩の力自慢達が狂喜乱舞する声を駕籠の中で聞きながら、斉正は思わず吹き出してしまった。もしかしたら彼らも慣れない速度での行列に疲れていたのかも知れない。

「とりあえずひと休みさせ・・・・・・二刻半後くらい休息を取ればいいか。それ位休めば先を行く一橋の動向も判るだろう」

 昔は鍋島の行列の早さにぼやいていたが、いつの間にかその早さに慣れてしまっていた自分に苦笑いを浮かべ斉正は重だるくなっていた首をぐるりと回した。



 斉正の命により府中宿で休息及び夜間行列の準備をしていた斉正達の許へ、再び偵察に出向いていた足軽が戻ってきた。

「申し上げます、一橋公の行列はやはり岡部の宿場で宿を取るとの事です!」

 足軽のはきはきとした威勢の良い声に、斉正を始め上級家臣達は深く頷く。

「・・・・・となると、一つ先の藤枝まではやはり進んでおきたいな」

「いえ、島田でしょう。最悪今晩は畳の上で眠れないことも覚悟しなければなりません。でないと再び追いつかれて今日のように・・・・・・」

 そこまで言うと、松根は身震いした。

「とにかく、すぐに出立いたしますので殿もご準備の方、よろしくお願い致します。おまえも各所に報告を」

「御意!」

 普通なら夜通しの強行軍を嫌がるものだが、今日一日慶喜の行列に頭を押さえつけられた状態で悶々と鬱屈していた藩士達にとってそれは朗報なのだろう。今までにないくらい素早く準備を整えると、斉正を駕籠に押込め即座に出立した。
 さすがに歩いている行列そのものを追い越すことは許されないが、相手が宿に入ってしまえば話は別である。さらに斉正達には日が暮れても提灯に明かりを灯し歩き続ける『鍋島の提灯行列』という武器がある。暗闇の中、ただ静かに進んでゆく杏葉紋の提灯行列はどこまでも美しく、道行く旅人は勿論、宿に泊まっている旅人も窓から身を乗り出して見るのだ。しかし、旅人は庶民ばかりではない。

「殿!鍋島の提灯行列が本陣前を通っておりまする!」

 斉正の行列に気が付いた慶喜の家臣が慌てて慶喜に報告する。

「何?」

 家臣の報告に驚き窓から身を乗り出すと、丁度斉正の駕籠が慶喜の目の前を通過するところであった。

「小賢しい!」

 だが幾ら悔しくても、すっかり休息に入ってしまった家臣達を無理矢理たたき起こすことは出来ない。

「明日・・・・・・急ぐからな!再び鍋島の行列を追い越せ!」

 追い越されたのがよほど悔しかったのか、歯ぎしりしながら家臣に命じた慶喜であったが、しかし、その点は斉正方が遙かに上であった。
 強行軍の末、斉正らが島田に到着したのは子の刻過ぎ、食事もろくに取らずに二刻ほど仮眠を取った後、朝一番で大井川を渡りきったのである。そして斉正にとって幸運なことに、そして一橋慶喜にとって不運なことに慶喜の行列が大井川へ到着した頃崩れやすい春の空から雨が降ってきたのだ。

「誠に申し訳ございませんが暫くは様子を見た方が宜しいかと・・・・・・川留めまではいきませんが、急に強く降り出したとき、お命の保証は致しかねます」

 大井川畔にある船宿の主にそう進言されてしまっては川を渡ることは難しい。結局一橋慶喜の行列が大井川を渡ったのは次の日であり、最終的に斉正が京都に入った二日後に上洛を叶えることになる。



 文久三年二月八日、暖かみを増した春風が砂埃をまき散らす中、斉正はようやく大津へと到着した。

「大殿、このまま京都に入られますか?それともひと休み・・・・・・」

 ここまで来れば一橋慶喜の影に怯えることはないと、ほっとした声で松根が言いかけたその時である。行列の先頭の方で奇妙な雄叫び、そしてそれをかき消す大勢の男達の騒ぎ声がうねる波のように斉正に押し寄せてきたのである。

「恐れながら申し上げます!薩摩の者と思われる浪士が突如行列に襲いかかって参りました!島津公が京都守護の御役を得られなかったのは鍋島の所為だと!」

「何だと?逆恨みも良いところではないか」

 松根の傍にいた中村が呆れたように肩を竦める。

「しかし薩摩側はそうは思っていないようです。あともう少しで御役を頂けるところだったのにと――――――浪士達も藩の意向を受けて動いているようです」

「・・・・・・脱藩しながら未だ藩に忠誠を誓うとは」

「こちらが文句を言っても『脱藩者が勝手に行ったこと』と斬り捨てるのだろうな」

「ろくでもない。虫酸が走る」

 斉正の駕籠を守るように取り囲んでいる幹部達は、京都目前に来てのまさかの暗殺者に動揺しながらも、さらなる敵がいないか周囲を厳しく監視する。

「大殿、捕縛した浪士どもは如何致しましょうか?」

 本来なら主君がいない浪士であれば『町人』扱いとみなされ処罰することも可能なのだが、時勢が時勢である。特に京都守護問題で厄介な事になっている薩摩出身の浪士だけに、迂闊なことは出来ないと松根が指示を仰ぐ。

「そのまま放つように。こちらは薩摩の京都守護の任命を邪魔したのだ。これ以上薩摩との関係を悪化させても何の利益もない」

「御意」

 斉正の命令により薩摩浪士達はそのまま放たれ、その日の夕方宿舎である黒谷真如堂に入った。するとそれを待ち受けていたように斉正宛の書状や命令書が次々に舞い込んできたのである。

「殿、御所から招集がかかっております。十八日に諸大名は参内するようにと」

 その一つ、御所からの命令書を手に中村が斉正に伝えた。それに対し斉正は少し考え込んだ後、御所には欠席すると伝えよと命じた。

「どうせ攘夷派の決起集会のようなものだろう。開国派の私が出向いてもあちらの機嫌を損なうだけだ。何があったかは後々宇和島にでも聞けばいいだろう。私は『病』だから参内できないと。それに・・・・・・」

 斉正は急に真面目な表情を浮かべる。

「『天誅』と称しての暗殺もまかり通っているらしい。大津での事もあるし、できるだけ出歩かない方が賢明だろう」

「御意。では御所にはその様に返事をいたします」

 中村は一礼するとそそくさと部屋から下がっていった。そして斉正欠席の旨を御所に伝えた直後の二月十八日、在京中の徳川慶勝、松平春嶽、山内豊信、黒田斉溥、伊達宗城ら二十一人の大名の参内が実行された。
 尊王攘夷派が大勢を占める中、松平春嶽など公武合体を推し進めようとする勢力もあったが、多勢に無勢である。そして何より公武合体派の実力者である斉正が、京都にいるにも拘わらず参内しないという状況に、あらゆる憶測が流れたのだ。

「鍋島のご隠居は狡いですな。下手なところには絶対に顔を出そうとはしない」

 嫌みたっぷりに公武合体派の春嶽に言い放ったのは徳川慶喜であった。幕府代表として公武合体を推し進めなければならない立場にありながら声高に攘夷派を唱え、攘夷派公卿との関係を密にしている慶喜に対し、斉正の義兄弟でもある春嶽や伊達宗城は嫌悪を露わにする。

「それは貴殿の個人的な感情でしょう。江戸への参府も無理を押してとのこと、ここへ来て動けぬほど体調を崩されたのやも知れませぬ」

 そんな春嶽の言葉を慶喜は鼻で笑った。

「『痔疾』如きで参内できぬとは笑止。そもそも痔疾など仮病の最たるものではありませぬか」

 慶喜の鋭い指摘に二人は言葉を失う。

「どちらにしろ、この場に顔を見せぬと言うことは政局から脱落したことと同義。となるとやはり攘夷派が優勢となりますな」

 確かに一番恐ろしい敵である斉正が出しゃばってこなければ、慶喜としては権力を掌握したも同然である。そしてそれは春嶽達も痛いほど感じていた。それだけに若い春嶽はかっ、となり思わず慶喜に噛みついた。

「攘夷など絵に描いた餅ではありませぬか!そもそも武器からして圧倒的に不利なのに、力尽くで外国人を閉め出そうとは荒唐無稽すぎましょう!」

 今にもつかみ合いそうになりそうだった二人だったが、丁度その時孝明天皇が場に入ってきてその場は辛うじて収まった。だが、この二人の確執はこの後もくすぶり続けることになる。



 文久三年二月十三日、徳川家茂は江戸を出立し陸路京都へ向かっていた。それと時を同じくして幕府は生麦事件』などの影響により英吉利との交渉が難しくなったことを認め、二月二十七日、京都所司代を通じて諸大名に軍備を命じた。
 一方同日、京都学習院は御所警備の為在京大名に対し一万石につき一名の親兵を差し出すように命じたのだが、佐賀藩に対しては『幕府の許可をまだ得ていない』との理由から長崎警備専任を命じたのである。その命を受ける形で斉正は二十九日に京都を出立する事になったのだが、前日の二十八日夕方、斉正は松平春嶽の招きを受けて福井藩境地屋敷へとやってきた。

「お忙しいところ済みません。明日出立されるところを」

 詫びを入れながら、春嶽は斉正を出迎える。

「いえ、却って好都合。何が話し合われ、どんな事が飛び出しても明日には逃げおおせておりますので」

 冗談めかしながら斉正は春嶽に案内され席に着く。その場には春嶽、伊達宗城、のちに斉正の娘・宏姫と婚姻する細川護久らがいたがその顔は一様に険しく、これから話されることの深刻さを物語っていた。



UP DATE 2012.03.23

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デキル男は知らないうちに敵を作るものなのかも知れません。斉正もいつの間にかあちらこちらに敵を作ってしまっております。まぁ、薩摩はある意味自業自得ですが(笑)一橋慶喜に至ってはあちらが勝手に突っかかっているだけなので・・・・・斉正はしょうがないなぁ、と生暖かい目で見ているだけのようです。

ただ、これ以上敵を作りたくないと思ったのか、何か別の思惑があったのか、当時御所から招集がかかっていたにも拘わらず斉正はそれに出席しませんでした。理由としては体調不良との事ですが、そんな人が11月から2月の実質3ヶ月の間に佐賀→京都→江戸→京都を移動出来ますかねぇ・・・・・ほぼ間違いなく仮病じゃないかと(笑)
公武合体派にとってはこの欠席は手痛いものだったと思われますが、斉正としては状勢を冷静に判断し『ここは引くべきだ』と思ったのでしょう。幾ら理を解いてもがっちがちに攘夷に凝り固まった公卿や攘夷派大名には聞いてもらえないと判断したのかも知れません。(きっと説得するだけ無駄だと思ったに違いない・・・・・。)
この時期、攘夷派への追い風が吹いておりますが、この風向きが変わるのはこの年5月の下関戦争&7月の薩英戦争の後になります。それでも斉正の動きはとっても慎重なものなんですけどね・・・・・。

次回更新は3/30、『嵐の政局、灼熱の政変』にてその動きを追いかけることができればと思っておりますv
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