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「葵と杏葉」
葵と杏葉・維新編

葵と杏葉維新編 第二十五話 明治維新・其の壹

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 慶応四年二月三十日、電流丸で上洛した斉正は、休む間もなく翌日早々御所へ挨拶に出向いた。すでに茂実が上洛しているのに、何故自分が呼び出されたのか――――――疑心暗鬼になりながら、斉正は目の前に居る三条実美の言葉を待つ。

「閑叟公、急ぎ上洛して貰ってかたじけない」

 一通りの挨拶をした後、三条は重々しく斉正に語りかけた。その語りかけに斉正は思わず身構える。

「実はそなたを呼び出したのは他でもない――――――今度興す新政府の議定を努めて貰いたいのだ」

 議定とは法律の制定、条約の締結、和戦の宣告、三等官以上の人事を司どる職務であり、すでに佐賀藩からは息子の茂実が就任している。それだけに何故自分が就任を打診されるのか理解できず、斉正は目を丸くした。

「お、恐れながら申し上げます。すでに佐賀藩からは我が息子が議定に就任しております。一つの藩から親子二人がかような地位を頂戴しては、他の藩との折り合いが付かないのではないでしょうか。それと、それがしは体調を崩しております故、議定の激務に耐えられませぬ。ありがたいお話ではございますが・・・・・・」

 息子の茂実から聞いた話では『一藩一人』で議定を、そして実務を司る参与は出身藩や身分を問わず百六名が任命されたという。それなのに目の前にいる三条は斉正を議定にすると言い出したのだ。
 病に冒され体力を失っている現在、新しい政府の中枢で働くことは、肉体的にも精神的にも無理がある。斉正はどうやって円満にこの話を断ろうか考え初めたその時である。三条の隣に控えていた壮年の男が突如斉正に語りかけてきたのだ。

「そこを何とかお願いできませんでしょうか。佐賀の副島や江藤から閑叟公の手腕はかねがね伺っております。新政府に於いては『公議』にて政策を決定してゆこうと決めてはいるのですが、我々は政治に関してあまりにも未熟です。ですから是非とも閑叟公のお力添えをお願いしたいのです」

 その口調こそ公家らしく柔らかいものだったが、その目は鋭く斉正を射貫く。その鋭い、鷲のような視線に斉正はある一人の男の名を浮かべた。

(もしかして、この男が岩倉具視、か?)

 京都で活動していた若者達が口々に言っていた男である。身分ばかり高、実務には全く役に立たない公卿の中にあって、唯一志士たちと渡り合える能力を持っていると褒めるものも少なくない。ただ江藤が『身分の低さ故、公家達の嫉妬を買ってしまっている』と心配げに呟いていたのを、斉正はぼんやりとした記憶の中から思い出した。

「お願い致します。何卒・・・・・・」

 その壮年の男――――――岩倉は斉正に対して頭を下げる。居丈高な公卿とは思えぬ腰の低さに、斉正は岩倉の本気を感じた。ならば残りの人生を、この男の本気に賭けてみるのも面白いかも知れない。斉正はようやく覚悟を決めた。

「・・・・・・承知いたしました。非力ながら新政府に於ける議定を務めさせて戴きます」

 後に、体調不良から議定の職を降りることになる斉正だったが、岩倉の熱意に圧された形でこの任命を受ける事となった。そしてこの半月後、朝廷から『五ヶ条のご誓文』が発布されたのである。



 慶応四年三月十四日、京都御所・紫宸殿で行われた天神地祇御誓祭において『五ヶ条のご誓文』は提示された。御誓文は明治天皇の勅命によって、有栖川宮幟仁親王の手で正本が揮毫されたものである。

「『広ク会議ヲ興シ』とはなかなか良い文言ですね」

 厳粛な儀式の中、斉正は隣にいる伊達宗城に小声で語りかける。

「ええ。どうやら長州の桂小五郎が文言を整えたようですよ。福岡孝弟の案は時代に逆行していると不評でしたからね。それよりも」

 正面を向きながらも、宗城はさらに声を潜めて斉正に尋ねる。

「・・・・・・ご誓文発布に際して、父子共々諱を変えられたというのは誠ですか?」

 宗城の遠慮がちな問いかけに、斉正は微かに笑みを浮かべ屈託無く答えた。

「ええ。義父上から頂いた片諱を頂戴する名では、新政府内では何かと都合が悪いでしょう。特に佐賀は幕府、否、徳川家と親密にしておりましたので、薩長の目も厳しいのですよ。そこで父子共々諱を改め、新しい主君に仕えることになった次第です」

 斉正のその答えに、宗城は一瞬言葉に詰まり、その後深い溜息を吐く。

「何もそこまで気を使わずとも宜しいのでは?現にここに集っている諸侯の中でも同じ立場の者は少なくないでしょうに」

 呆れる宗城に対し、斉正――――――諱を改め直正は、曖昧な笑みを浮かべながら口を閉ざした。

(宗城殿には解らぬだろうな。私の中で如何に徳川が・・・・・・国子殿が大きな存在なのか)

 『斉正』の名は盛姫と婚姻した時からずっと自分と共にあった諱である。それはただの諱と言うだけでなく、青春の日の甘い思い出や辛かった藩政改革の日々、そして昨日までの人生そのものと言っても過言ではない。だからこそ古い諱を捨て、新たな名前で新たな主君に仕えようとしているのである。

(そもそも国子殿に呼ばれていたのは『貞丸』だったがな・・・・・・その根っこの部分だけは変わらないのかも知れない)

 江戸では新政府軍の総攻撃が行われるか否かの瀬戸際だと噂されている。もし、未だ燻る徳川への忠誠が露見してしまったら、佐賀もただでは済まないだろう。粛々と進む儀式を見つめながら、直正は膝の上で握りしめた拳に力を込めた。



 天神地祇御誓祭の後、御誓文は太政官日誌をもって一般に布告された。太政官日誌には『御誓文之御写』が勅語と奉答書とともに掲載された他、その前後には天神地祇御誓祭の式次第と御祭文や御宸翰が掲載された。
 当時の太政官日誌は都市の書店で一般に発売されていたが、残念ながら各農村にまで配布されておらず、一般国民に対してはキリスト教の禁止など幕府の旧来の政策を踏襲する五榜の掲示が出された。

 またこの同日、奇しくも江戸に於いても大きな事件が起こっていた。勝海舟・西郷隆盛の会談によって江戸城の無血開城が事実上決定したのである。ぎりぎりのところでこれを果たしたのは、ひとえに西郷隆盛と勝海舟の個人的な信頼関係と、江戸という大都市を戦場にしてしまったら禁門の変とは比較にならない程の被害が出てしまう為である。
 そもそも勝と西郷は元治元年九月に大坂で面会して以来の旧知の仲であり、西郷にとって勝は、幕府の存在を前提としない新政権の構想を教示された恩人でもあった。そんな事もあり、二人を中心とした二日に渡る交渉の末、江戸は戦場にならずに済んだのである。



「とりあえずはこれでひと安心おすな」

 一連の経緯が認められた書状から目を上げ、岩倉は直正に安堵の表情を見せた。『馬が合う』とでも言うのだろうか、初めて対面してから僅かな日数しか経っていなかったが、二人はまるで旧知の間柄のように親密に接していた。実力がありながら身分が低い岩倉に対し、妙な敵愾心を抱かずに接していたのが直正ただ一人だけだったからかも知れない。岩倉の安堵の表情に連られながらも、直正は気がかりな点を指摘する。

「しかし、幕府側の返答が少々気になりますね・・・・・・これではこちらが提示した条件が、ほぼ骨抜きにされているように見受けられるのですが」

 直正の指摘に岩倉は思わず苦笑いを浮かべた。

「閑叟はんは穏やかに見えて鋭く指摘なさりはりますな。確かに否定はでけしまへんが、西郷はんもお考えがあってこの返答を持ち帰って来はったんでしょう。すでに東征鎮撫の各隊は江戸の目と鼻の先まで進んではりますし、幕府側はこちらの提案を呑むことにならざるを得ないんやないでひょか」

 自信に満ちた岩倉の言葉に直正も頷かざるを得なかった。朝廷の支持を得て官軍となった倒幕軍に対し、西日本及び東海地方では、新政府軍と佐幕派諸藩との間で殆ど戦闘が起きず、諸藩は次々と新政府に降伏・協力を申し出ていた。それだけに進軍も早く、瞬く間に江戸の目と鼻の先までやってきてしまったのである。

 そんな差し迫る東征軍に対し、三月九日、精鋭隊頭の山岡鉄舟が駿府まで進撃していた大総督府に赴く事となった。
 山岡と薩摩藩士・益満休之助は駿府の大総督府へ急行し、下参謀西郷隆盛の宿泊する旅館に乗り込み、西郷との面談を求めた。すでに江戸城進撃の予定は三月十五日と決定していたが、西郷は勝からの使者と聞いて山岡と会談を行い、山岡の真摯な態度に感じ入り交渉に応じた。

 ここで初めて東征軍から徳川家へ開戦回避に向けた条件提示が成されたのである。この時、江戸城総攻撃の回避条件として西郷から山岡へ提示されたのは以下の七箇条であった。


徳川慶喜の身柄を備前藩に預けること。
江戸城を明け渡すこと。
軍艦をすべて引き渡すこと。
武器をすべて引き渡すこと。
城内の家臣は向島に移って謹慎すること。
徳川慶喜の暴挙を補佐した人物を厳しく調査し、処罰すること。
暴発の徒が手に余る場合、官軍が鎮圧すること。


 これは去る六日に大総督府軍議で既決していた『別秘事』に概ね沿った内容である。山岡は上記七箇条のうち第一条を除く六箇条の受け入れは示したが、第一条のみは絶対に受けられないとして断固拒否し、第一条は西郷が預かる形で保留となった。
 山岡はこの結果を持って江戸へ帰り勝に報告、西郷も山岡を追うように駿府を発って十三日には江戸薩摩藩邸に入った。江戸城への進撃を予定されていた十五日のわずか二日前であった。

 この一連の下交渉を受けて、徳川家側の最高責任者である会計総裁・大久保一翁、陸軍総裁・勝海舟と、大総督府下参謀・西郷隆盛との江戸開城交渉は、田町の薩摩藩江戸藩邸において、三月十三日・十四日の二回に渡って行われた。
 江戸に到着したばかりの西郷と、西郷の到着を待望していた勝との間で、十三日に行われた第一回交渉では静寛院宮の処遇問題と、以前山岡に提示された慶喜の降伏条件の確認のみで、込み入った話は行われず、若干の質問・応答のみで終了となった。そして第二回交渉において勝から先般の降伏条件に対する回答が提示されたのである。


徳川慶喜は故郷の水戸で謹慎する。
慶喜を助けた諸侯は寛典に処して、命に関わる処分者は出さない。
武器・軍艦はまとめておき、寛典の処分が下された後に差し渡す。
城内居住の者は、城外に移って謹慎する。
江戸城を明け渡しの手続きを終えた後は即刻田安家へ返却を願う。
暴発の士民鎮定の件は可能な限り努力する。


 これは、以前提示された条件に対する全くの骨抜き回答であり、事実上拒否したに等しかった。しかし西郷は勝や大久保を信頼し翌日の江戸城進撃を中止、自らの責任で回答を京都へ持ち帰って検討することを約した。ここに、江戸城無血明け渡しが決定されたのである。

「・・・・・・それにしても勝の返答は酷いものですよね。自分勝手も甚だしい」

 さすがに直正も顔を顰めたが、意外な事に岩倉はその件に関しては平然としていた。

「まぁ、徳川はんは恭順を表明してはりますんで、問題あらしまへんやろ。せやけど一部暴徒化しはりそうな連中がおるのが・・・・・・」

「気になりますか。岩倉さん、あなたはまるで武士のような読みをしますね」

 直正は悪戯っぽく笑った。

「確かにあちらこちらで小競り合いがありましたしね。しかしどうも幕府は勝ち目のない戦いだと認識した上で、兵を出しているような気がしてならないのです。というか、むしろ・・・・・・」

「むしろ?」

 岩倉は目に笑いを滲ませながら直正の言葉を促す。

「恭順への不満を抱いている者達を、江戸から排除しようとしていると思えてならないのです。でなければひとつひとつの部隊の人数があまりにも少なすぎますし、兵器も幕府側の部隊としては貧相すぎると」

 確かに直正の指摘通りだった。二月五日には伝習隊の歩兵四百名が八王子方面に脱走、二月七日夜、幕府兵の歩兵隊の一部が脱走。これらは歩兵頭古屋作左衛門に統率されて同月末、羽生陣屋に千八百人が結集し、三月八日には下野国簗田で東征軍と戦って敗れた。
 また新選組も甲陽鎮撫隊と称して甲州街道を進撃し、甲府城を占拠して東征軍を迎撃しようと試みるが、三月六日に勝沼で東征軍と戦闘して敗れるなど幕府軍はあまりにもあっけなく敗戦しているのである。

「確かに閑叟殿の仰る通りおすな。特に甲陽鎮撫隊に至っては、甲府城を防衛拠点としかったんやろうけど、板垣はんに先を越されたとか。それと気になるのは会津公の動き、どすなぁ」

 岩倉は腕組みをして唸る。明治天皇から朝敵の宣告を受けた松平容保は会津へ戻り、新政府に哀訴嘆願書を提出し天皇への恭順の姿勢は示した。しかし容保は新政府の権威は認めず、さらに武装は解かず、求められていた出頭も謝罪もしなかったのである。
 その一方で松平容保は先の江戸での薩摩藩の騒乱行為を取り締まった為、新政府からの敵意を感じていた庄内藩主・酒井忠篤と会庄同盟を結成し、薩長同盟に対抗する準備を進めていると噂されていた。

「徳川はんは大人しゅう上野寛永寺大慈院に移って、後謹慎生活を送ってはるというのに」

 火種は江戸ではなく会津に移りつつあるが、それでも江戸の状勢も予断を許さない。

「もし、戦闘が起こるようになったら・・・・・・我が藩も出陣せねばなりませんね」

 直正はほんの少し声を落とし呟く。

「閑叟はんも、まだ徳川に未練がおありで?」

 岩倉は少し心配げに直正に尋ねた。新政府内で徳川に心を寄せていると判れば、立場が危うくなる。それを心配したのだが、斉正は深い笑みを浮かべながら『未練ではないのですが』と言葉を続ける。

「徳川に、というより若き日の想い出の地に、と言った方が正しいですね」

 直正は何かを思い出すように遠い目をする。

「信じて貰えないかも知れませんが・・・・・・私の初恋の相手は今は亡き正妻、徳川宗家の娘である盛姫君なのです。江戸は彼女との楽しかった日々の思い出の地。そして妻が永久の眠りに就いている土地でもあるのです。そういった意味で彼の地を戦火で荒らしたくないというのが正直なところ・・・・・・爺の戯言だと受け流してやってください」

 己の心情を吐露して恥ずかしくなったのか、顔を赤らめる直正に対し、岩倉は意味深な笑みを向けた。

「そんなことを聞かされて受け流せると思うてはりますか。いやはや、閑叟殿がここまで情熱的なお方やったとは」

 笑いながら岩倉は続ける。

「せやったら江戸を守る為に余計に交渉事が重要になってきはりますな。ただ、万が一ということもありますさかい、お覚悟は・・・・・・」

「その時は『張り子の虎』を二匹ほど、江戸に連れて行くように息子に申し渡しますよ。その名前に戦いて、戦う前に相手が逃げてくれるように」

 張り子の虎――――――直正の意味深なひと言に、岩倉は怪訝そうな表情を浮かべた。



UP DATE 2012.06.22

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何の為に呼び出されたのか判らぬまま上洛した斉正でしたが、何とビックリ『議定』として新政府中枢に入り込むことになってしまいました。新政府としては斉正が佐賀にいるまま反乱を起こされたら堪ったもんじゃないと思ったのでしょう。いっそ新政府に組み込んでしまうことで自分達の力にしてしまおうという魂胆があったのかも知れません。
そんな新政府に対して、斉正親子は諱を『直正』『直大』と変えて仕えることになります。そこまでして恭順を示さなければならないほど、佐賀の立場は微妙なものだったのでしょうか・・・・・世渡りは難しいものです(^_^;)

しかし不幸中の幸いとでも言うのでしょうか、何故か斉正改め直正は岩倉具視と仲が良かったようです。実力はあれど身分が低く上級公家の嫉妬を受けていた岩倉に、過去反対派の嫌がらせをはね退けて改革を成功させた自分とを重ね合わせたのか、はたまた権力争いに無欲だった斉正を岩倉が信頼したのか判りませんが、二人の関係は親密さを増してゆきます。


次回更新は6/29、上野戦争を中心に展開していきます。勿論『張り子の虎』の正体も明らかにいたしますよ~♪
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