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「紅柊(R-15~大人向け)」
癸巳・秋冬の章

棚幡の別離・其の壹~天保四年七月の旅立ち

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七月に入り、緑陰がますます濃くなった紅葉山に山田浅右衛門吉昌は出向いていた。御文庫こと紅葉山文庫には残暑厳しい時節とは思えぬほど涼しい風が吹き抜け、むしろ寒気を覚えるくらいだ。吉昌は御文庫に入ると襟を正し、先に来ていた老中・大久保に一礼する。

「山田よ、どうやら山田源六----------否、新實益五郎が生きていたらしいな。」

 挨拶もそこそこに、大久保の険しい声が吉昌に語りかけてきた。その厳しい言葉に、吉昌は極力平静を保ちつつ報告を開始する。

「御意・・・・・確たることはまだ明らかでは無いのですが、轟木屋の死者が受けた刀傷は山田一門特有の癖がございましたし、あえて急所を外しているところは新實の性癖かと思われます。山田一門のその他の門弟にそのような嗜好を持つ者はおりませんし、事件当時の所在は新實以外全て証明されております。勿論すでに国許に帰った者たちにも確認を取っております。」

 山田一門とても轟屋事件を奉行所任せにしておく訳にいかない。吉昌を中心に独自の捜査をしていたのだが、新實を除く全員に当時の所在の在り処が証明されたという事以外、目立った進展は無かった。

「なるほどな・・・・・しかし事件から一ヶ月、まだ捕まらないのか?」

 新實の逃げ足は今までの吉昌の労苦を思えば容易に想像ができる。大久保は眉間に深く皺を寄せ吉昌に尋ねた。

「ははっ、奉行所も苦慮しているようでございます。強盗犯の首魁も見つからぬ中、その子分である新實を見つけるのはさらに難しく・・・・・我々も一門の意地がございますから独自に捜索しておりますが捗々しくありませぬ。」

 悔しげに唇を噛みしめる吉昌を、大久保はじっと見つめる。

「・・・・・まぁ、今まで杳として行方が知れなかった者が、生きているかもしれぬと判明しただけ前進だろう。だが、彼奴が行く先々で死人が出るのは戴けない。手段はどうでも良い、早々に新實の首を差し出すように。」

 水野からこの件を引き継いで十ヶ月、新實がどのような男であるか大久保も厭という程解っている。それだけに生きていようが死んでいようが構わない----------むしろさっさと処分してしまえと暗に仄めかしている大久保の言葉に、吉昌も深く頷いた。

「ところで話は変わるが・・・・・。」

 今までの厳しい声音とは一変、穏やかでありながら何か心配事を含んでいるような口調で大久保が吉昌に語りかけてきた。

「何でしょうか?」

「お前はここ最近の涼しさをどう思う?」

 思わぬ質問に吉昌は面食らったが、吉昌もこの最近の気候には思うところがあったらしく慎重に、しかしはっきりと大久保の質問に答える。

「・・・・・私は、あまり好ましいとは思いませぬ。」

「それは如何に?涼しければ胴も腐り難いであろうし、試し切りにはむしろ好都合だと思うが。」

 大久保の意地の悪い質問に、吉昌は首を横に振りながら更に意見する。

「夏場の試し斬り稽古にはもってこいかも知れませんが、米は実り難いでしょう。米が実らなければ世の中が不景気になり、乱れるかと・・・・・飢饉はいただけませぬ。」

 飢饉、の一言に大久保の眉が跳ねた。

「・・・・・お前も飢饉になると思うか?」

「御意。この涼しさ・・・・・否、寒さは尋常ではございませぬ。」

 吉昌の言葉に大久保も深く頷き、一瞬逡巡した後重い口を開いた。

「同じような事を我が家臣の二宮という者も申しておったな。『今年の茄子は夏でもすでに秋茄子の味がする』と・・・・・。」

 大久保は大きく溜息を吐くと外に視線を向ける。この時期、本当ならばもっとぎらぎらと眩しい筈の陽光は色褪せ、弱々しく見える。米の豊作、不作が直接経済に影響を与えるこの時代、涼しすぎる夏は決して喜ばしいことではないのである。

「今年は仕方が無いのかもしれないが・・・・・享保や天明の大飢饉のようにならないことを願うばかりだ。」

 大久保の言葉に、吉昌もただ頷くことしかできなかった。



 吉昌が登城する日は山田道場の稽古は基本的に休みである。五三郎や芳太郎など刑場に入れるか否かぎりぎりのところにいる若者は別として、大抵の門弟たちはこの日を利用して藩の仕事をしたり、普段やり残したことをしたりする。それは前畑銀兵衛も同様であった。
 特に銀兵衛の場合稽古が休みである六の付く日には喜代が来てくれるという事情もあり、今年の春から休みの日に道場へ顔を出すということは無くなっている。七夕の前日であるこの日も同様で、銀兵衛は朝から喜代を待ちながら自宅でできる仕事をこなしていた。

「・・・・・それにしても喜代の奴、遅いな。」

 いつもなら朝五ツ半過ぎには下屋敷にある銀兵衛の長屋に辿り着いている喜代が、今日に限り朝四ツ過ぎてもやってこない。

「もしかして・・・・・喜美がぐずっているのか。だったら連れてくればいいのに。」

 喜代が言うには時折、母親が出かけるのを嫌がってむずがる時があるという。だが、そんな時は喜美も一緒に連れてくる筈だし、銀兵衛も娘に逢うことが出来るだけに喜代だけで来る時とはまた違った楽しみがある。だが、それにしても遅すぎる--------そう思った刹那である。がらがらと建て付けの悪い開き戸が開く音がしたのだ。時間的なものからしても間違いなく喜代であろう。銀兵衛は喜代を迎え出るため、玄関へと顔を出した。

「喜代、どうした?今日は珍しく遅かった・・・・・!」

 そう言いかけて銀兵衛は言葉を失う。そこにいたのは涙を目に溜めながら、じっと銀兵衛を見つめている喜代がいたのである。

「旦那・・・・・さま!」

 銀兵衛の顔を見るなり喜代は堪えていた涙をぽろぽろ零し、銀兵衛にすがりつくと大声で泣き始めたのだった。



 一体何があったのか--------泣きじゃくる喜代を抱きしめながら銀兵衛は困惑した。そもそもここまで喜代がひどく泣きじゃくる理由が思い当たらない。自分と離縁した時でさえここまで泣きじゃくることは無かったし、儚げな見た目とは裏腹に意外と気丈な性格をしている喜代である。それなのに何故・・・・・喜代が落ち着くのを待って銀兵衛は声をかけた。

「喜代、一体何があったのだ?こんなに泣きじゃくるなんて・・・・・もしかして喜美に何かあったのか?」

 銀兵衛の問いかけに、喜代は泣きはらした目で銀兵衛をじっと見つめながら口を開いた。

「喜美は至って元気でございます。ただ、喜美も私も今月いっぱいで・・・・・旦那様と逢うことが二度と叶わなくなってしまうのです。」

 そう口にすると喜代の目から再び新たな涙が流れだした。月にたった三度の逢瀬--------それが叶わなくなり、しかも二度と逢えなくなるとは一体どういうことなのだろうか。銀兵衛は混乱する。

「喜代、何故二度と逢えなくなると?まさか再婚でも・・・・・。」

 再婚相手が決まってしまったのか--------その考えに至り、銀兵衛は唇を噛み締め、喜代を抱く腕に力を込める。一度は喜代に三行半を叩きつけた自分がとやかく言える立場でないことは重々承知しているが、やはり心穏やかではいられない。だが、喜代は銀兵衛の問いかけに首を横に振った。

「いいえ、再婚ではございませぬ。兄が・・・・・藩の命で国許に詰めることになったのです。」

「国許に!何故代々江戸詰めの蒲生家が・・・・・!」

 まるで思いもしなかった出来事に銀兵衛の声が大きくなる。

「はい。今年の飢饉が予想以上にひどいらしくて・・・・・江戸詰めでは生活できない御徒は国許に返されることになったそうです。」

「そんな話・・・・・まだ聞いていないぞ!」

 喜代の言葉に銀兵衛は慌てた。藩邸の人事に関わるほど--------代々江戸詰めだった御徒の家である蒲生家が国詰めになるほどの人事であれば、すでに銀兵衛の耳に入ってきていてもおかしくない。

「まだ内示だそうです。でも殆ど決定的らしく・・・・・兄もその事を聞いたのは昨日の午後だったそうです。」

 ぽろぽろと涙を流しながら喜代は銀兵衛に事情を説明した。確かに内示で、昨日の午後聞いたばかりとあっては銀兵衛が知らないのも無理は無い。

「・・・・・今から蒲生殿に詳細を聞いてくる。お前はここで待っていてくれ。」

 とにかくもう少し詳しい話を聞きたい--------銀兵衛は喜代にそう言い残すと自宅を飛び出した。



 銀兵衛が川越藩上屋敷に到着した時、蒲生が所属する御徒四番組は剣術の稽古の最中であった。さすがにそこで蒲生に声をかけるわけにもいかず、銀兵衛は道場の隅で蒲生の稽古が終わるのをじっと待つ。そして稽古が終わるなり、即座に蒲生の元へ駆け寄った。

「お久しぶりです、義兄上・・・・・もとい蒲生殿。」

 思わず昔の言い方で『義兄上』と口を滑らせてしまった銀兵衛に対し、蒲生は苦笑いを浮かべる。

「俺は別に気にしないぞ、『義兄上』でも。それにしても久しぶりだな。端午の節会で顔を合わせた以来か。」

「そんなことよりも義兄上・・・・・国詰めになるという話は真ですか?」

 周囲に聞こえぬよう低い、小さな声で銀兵衛は蒲生に尋ねた。その瞬間、笑顔を浮かべていた蒲生の表情が俄に険しくなる。

「その話、どこで聞いた?」

「それは・・・・・。」

 銀兵衛は迂闊に口を滑らせてしまったことを後悔し、ばつが悪そうに口籠った。その様子から蒲生は銀兵衛の情報の出どころを察する。

「喜代、か。」

 蒲生の咎めるような口調に、銀兵衛は黙り込んでしまった。

「・・・・・お春の奴がぼやいていたぞ。喜代の奴、決まって六の付く日にふいっ、とどこかに出かけて行くと。確か、試し切り道場の休みは山田浅右衛門が千代田に登城する六の付く日だったな。」

「・・・・・申し訳ございません。」

 ここまでばれてしまっては誤魔化しようがない。銀兵衛は項垂れ、蒲生に詫びた。

「・・・・・喜代の奴も未練たらたらだったからな。むしろあいつがお前のところに押しかけたんじゃないのか?」

「そんな事は・・・・・全ては私の不徳の致すところです。」

 確かに下屋敷にある銀兵衛の住む長屋にこっそりやってきたのは喜代だった。だが、それを見つけ、半ば強引によりを戻したのは他ならぬ銀兵衛である。喜代は決して悪くないと銀兵衛は喜代を庇った。

「まぁ、男と女の事だし元々は夫婦だったのだから煩いことは言わないが・・・・・さすがに江戸で復縁は無理だということ位、承知しているな?」

「ええ・・・・・その件に関しましては多くの方々に迷惑をかけましたし、今更復縁などと言えた立場ではありません。」

「・・・・・かと言って藩命に逆らって川越に共に向かうというのも無理な話だ。」

「ええ・・・・・。」

 試し切り道場への入門は藩命であり、勝手に辞めることは勿論許されない。そもそも試し切り道場へ入門を藩に許可されるまでが大変なのだ。銀兵衛も藩内での競争に打ち勝ち、その権利を手に入れたのである。だからこそ、修行の邪魔になりかねない喜与との結婚を渋り、一度は離縁したのだ。

「・・・・・気の毒だとは思うが、今度こそ本当に喜代のことは諦めてくれ。」

 そう言い捨てると蒲生は銀兵衛に背を向け、その場を立ち去ろうとした。

「お待ちください、義兄上!一つだけ、一つだけ頼みがございます!」

 銀兵衛はすかさず蒲生の前へ回り込み、その場で土下座をしたのである。

「お、おい!」

 周囲にいた者たちが奇異の目で二人を見つめている。蒲生は慌てて銀兵衛を立たせようとしたが、銀兵衛は頑として聞かず地べたに額を擦り付ける。

「復縁が無理なことも、それがしが川越へ向かうことも無理なことは重々承知しております。だからこそ一夜だけ・・・・・喜代と今生の別れを惜しませてください!後生です!」

 血を吐くようなその悲痛な訴えに、蒲生は言葉をかけることさえ出来なかった。



UP DATE 2012.7.3

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『紅柊』連載が始まって丸一年、ようやく天保の大飢饉が及ぼす不景気の足音が聞こえてきました。この時期の前までは文化・文政期のバブルの名残がありましたが、それもこの年まで(´д⊂)‥ハゥ 不景気の波はもろに庶民に、そして武士に押し寄せて参ります。その最初が川越藩ということで・・・・・近場だけに半年ごとの参勤交代、旅費こそかかりませんが物価の高い江戸の生活は他の藩よりかかりますから特に質素倹約に励んでいたそうです。(うろ覚えでアレなんですが、ケチ番付で名前が載っていた川越の殿様・・・仕方がないっちゃ仕方がないんですけどね。)
そんな中で起こった江戸詰め御徒の縮減に蒲生が選ばれてしまいました。一方銀兵衛は藩の命令で試し切りの稽古をしている手前、まず江戸から離れることは不可能でしょうし・・・・・果たして銀兵衛と喜代はこのまま別れてしまうことになるのでしょうか?

次回更新は7/10、蒲生に土下座してまで喜与との今生の別れを惜しむことを願った銀兵衛の願いは叶うのでしょうか?次回をお楽しみくださいませv
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