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「葵と杏葉」
葵と杏葉・維新編

葵と杏葉維新編 第二十八話 葵と杏葉・其の壹

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 戊辰戦争が終結し、旧幕府軍の残党狩りも一段落すると近代化への動きがますます加速し始めた。当初、鳥羽・伏見の戦い後に明治新政府側についた佐賀だけに、元・藩士たちの出仕及び出世はままならないと思われていた。しかし政治的才覚のある人間が少なかったため、元・佐賀藩士たちの多くが新政府に出仕することになった。主な藩士の役職は以下の通りである。

 江藤新平は戊辰戦争が一段落した後に会計局判事に任命され、民政や会計、財政、都市問題などを担当する。さらに明治三年一月には佐賀に帰郷して準家老に当たる着座に就任し藩政改革を行うが、すぐに中央に呼び戻されることになる。

 大隈重信は小松帯刀の推挙により明治元年に徴士参与職、外国事務局判事に任ぜられた。明治二年からは会計官副知事を兼務し、高輪談判の処理や新貨条例の制定などの金融行政にも携わり、明治三年に参議に補される。

 副島種臣は新政府の参与・制度取調局判事となり、福岡孝悌と『政体書』起草に携わる。さらに明治二年に参議に就任した。

 大木喬任は新政府が樹立後、徴士、参与、軍務官判事、東京府知事などを務めた。また江藤と共に東京奠都に尽力したのは戦術のとおりである。

 島義勇は蝦夷開拓御用掛に任命され開拓使判官になるものの、東久世通禧開拓長官と衝突し、志半ばで開拓使判官を解任される。その後三月二十五日に帰京すると、四月二日に大学少監に昇任した。

 勿論新しい波は政治分野だけでなく、東京の街中にも及んでいた。通信の面では東京~横浜間の電信が開通し、公衆電報の取り扱いが始まった。また運輸面では政府監督下に回漕会社が設立され、東京~大阪間の定期航路が開通する。
 更にこの時期、女性の職場として深川に紡績工場が設けられ、十二歳以上の婦女が働くことになった。
 東京府下では人力車の営業が許可され、羽村からたった一日で運ばれるようになった八王子織物や甲州ぶどう、煙草などが内藤新宿の船着場に溢れかえる。秋には東京府にも初めて牛鍋屋が開業し、徳川時代の面影はどんどん薄らいでいった。

 しかし、その成長盛りの若者の如き近代化の動きとは逆行する様に、直正の体調は少しずつ悪化していった。どうやら父・斉直同様の亀腹――――――胃癌らしい。元々の持病に加えて明治三年夏あたりから胃の腑周辺の痛みが激しくなり、さすがに職責に耐えることはできないと八月十八日付けで大納言を辞任した。



 力を失った秋の陽光は、居室で横になっている直正に錆びた、やわらかな光を注いでいる。藩主に就任してから三十数年、それ以来の激務から開放された直正にとっては皮肉にもようやく与えられた休日でもあった。

「殿、お加減は如何でございますか?」

 痛み止めの薬湯を持ってきた松根が心配そうに直正に尋ねる。

「芳しい・・・・・・とはお世辞にも言えぬな」

 苦笑いを浮かべながら、直正はゆっくりと上体を起こした。

「またこの薬湯か。林、とか言ったか、あの若い蘭医、もう少し年寄りに気を使って口当たりの良い痛み止めを処方してくれればいいものを」

 直正は松根が差し出した薬湯を飲み、その苦味に顔を顰める。直正以上に体調を崩して寝込んでいる伊東に代わり、政府から紹介された林研海という若い医師から『痛みを和らげる』と言われている薬湯だが、その苦味にますます体調が悪化しそうだと直正は冗談めかして松根に愚痴を零した。

「だが、こんな落ち着いた日は久しぶりだな」

 仲秋の風が部屋に吹き抜け、どこからか鈴虫の声も聞こえてくる。その声に誘われたのか、直正は思い立ったように口を開いた。

「・・・・・・久しぶりに箏をかき鳴らすのも悪くない。虫干しも兼ねて『月影』を出してみるか」

 その瞬間、松根の顔がパッと明るく輝く。

「御意!誰か、そこにおるか。納戸から『月影』を持ってまいれ!」

 痛みに寝こむことが多くなっている主君が、何か行動に移すことは極めて稀になっている。それだけに松根は嬉しげに部下に対して『月影』の準備を命じた。



 久しぶりに見る『月影』だったが、盛姫や松根とともに大奥に乗り込み、奥女中たちのご機嫌を取った頃と何も変わっていなかった。ただ一つだけ、琴柱箱だけが本来のものではなく、三つ葉葵のものになっている。
 本来の琴柱箱が鼠に齧られた後、本当ならばちゃんと杏葉紋の琴柱箱を誂えなくてはならなかったのだが、当時の財政難とその後の多忙さにいつの間にか忘れてしまっていたものだ。直正は慈しむように葵の紋を撫でながら穏やかな笑みを浮かべる。

「懐かしいな。風吹が言うには国子殿はこれ幸いと自らの琴柱を健子の稽古用に下ろしてしまって、この琴柱箱に『月影』の琴柱を入れてくれたとのことだが」

 そう言いながら蓋を開けた瞬間、直正の表情に驚きが走った。

「殿、如何なされましたか?」

 直正の表情の変化に気がついた松根が直正に尋ねる。

「・・・・・・忘れていた。国子殿からの、手紙だ」

 直正が手にした琴柱箱の中には一通の手紙が収められていた。『貞丸へ』と書かれた懐かしい筆跡に、直正は当時のことをまざまざと思い出した。愛しい人を亡くし、それを受け入れられずにいた悲しみの日々を――――――そして激動の時代に流されてこの手紙を忘れてしまっていた罪悪感が胸に湧き上がってきた。

「こんなに体調が悪くなっているのになかなか国子殿が迎えに来てくれないわけだ。せっかくの手紙を開いてもいなかった不義理な良人なんて」

 ばつが悪そうに呟きながらも、直正はなかなか手紙を開こうとしない。どうやら他人の目が――――――松根や他の家臣たちの目が気になるらしい。

「殿、少し席を外しましょうか?」

「・・・・・・頼む」

 未だ愛しさを抱いている亡き妻からの手紙である。一人じっくりと読んでゆきたいのだろう。松根や側近たちは直正の意を汲んで席を外した。



 ひんやりとした仲秋の風が直正の頬を撫でてゆく。松根たちが部屋から出ていったのを確認した直正は、ようやく盛姫からの手紙を開いた。


『貞丸へ』


 藩主・鍋島斉正宛の遺書はすでに受け取っていたが、あれはあくまでも正妻から藩主に宛てた公式なものであり、こちらはごく私的なものであった。『貞丸』という、二人の間での呼び名がそれを物語っている。


『――――――この手紙をそなたが読む頃、妾はこの世にはおらぬであろう。互いの死に目に逢えぬことは大名の妻の宿命じゃと覚悟を決めていたはずなのに、いざとなると寂しいものじゃ』


 死を目前にした盛姫の寂しさが滲む文章に、直正の目から一筋、涙が零れ落ちた。何故自分は盛姫の今際の際に傍にいることができなかったのだろうか。それが大名の宿命とはいえあまりにも悲しく、辛すぎる。
 締め付けられるような胸の苦しみに先を読むことさえ辛く感じるが、盛姫の手紙が終わったわけではない。直正は一度大きく深呼吸をし、再び読み進めた。


『――――――不穏な空気が世の中に流れる中、藩主としてどう国を導くか迷うこともあるじゃろう。しかし妾はそなたがどんな決断をしようとも、貞丸、そなたの決断を信じる。たとえそれが徳川を裏切り、不利益になることであっても』


 それが直正の限界であった。

「くに・・・・・・こ、殿っ・・・・・・国子殿!」

 盛姫からの手紙をそこまで読み進めた直正は、書状を胸に握りしめ、嗚咽する。



――――――たとえどんな事になろうとも・・・・・日の本中が貞丸の敵になろうとも妾だけはそなたの味方じゃ――――――



 阿蘭陀からの開国勧告に難色を示す幕府に諦観を示した直正に対し、盛姫が閨の中でささやいた言葉が蘇る。江戸にいた盛姫は不穏な何かを感じていたのかもしれない。そしてこの書状をもっと早く読んでいたら、自分の判断はもっと違っていただろう。
 今現在、佐賀出身の若者たちは苦労の末、政治の中枢で努めに励んでいる。だが、もし直正がもっと早く新政府側に付くことを決断できていたら、彼らはもっと楽に今の地位に付けいたかもしれないのだ。

「何度・・・・・・国子殿に相談したいと思ったか。国子殿はちゃんと、答えを遺していてくれたのに、私が・・・・・・見つけ出せなかった」

 涙が溢れて止まらない。盛姫が遺してくれた言葉一つ一つが直正の後悔、そして徳川を裏切ってしまった罪悪感を溶かしてゆく。
 どれだけ泣いたであろうか。ようやく落ち着きを取り戻した直正はくしゃくしゃになった手紙を広げ、まだ残っている続きを読み始めた。


『――――――妾はそなたを信じておる。だからそなたは家臣を、領民を、そして領地を守り、勤めを全うせよ』


 そして最後に認められていた一首の歌に目が留まる。


『沫雪に 儚く散りし 紅梅は  とわに想いし 有明の月』


 それは盛姫から直正に送られた、最後の恋詠であった。今際の際に詠ったと思われるそれは、和歌が巧かった盛姫にしてはあまりにも直接的すぎ、お世辞にも上手い歌では無かったが、それだけに気持ちが真っ直ぐに伝わってきた。

「ありがとうございます・・・・・・国子殿。」


 直正は微笑みながら、くしゃくしゃになった手紙を丁寧にたたみ始める。

「これで私は・・・・・・胸を張ってあなたの許に逝く事ができます」

 抱えている家臣や領民の為、徳川を裏切り新政府に付いてしまった事を時には悔いていた直正であった。だが、盛姫からの手紙は二十年の歳月を経て良人を救ったのである。
 止まらぬ涙を袖でぬぐいつつ、直正は盛姫からの手紙を大事に自らの懐にしまいこんだ。

(しかし、魂魄は国子殿の許へ行く事ができたとしても、亡骸は・・・・・・)

 盛姫が眠っている増上寺は徳川家の菩提寺であり、それは明治の世になっても変わらない。直正が死んだとしても一緒に埋葬してもらうことはほぼ不可能であろう。だが、直正には少々気になる事があった。それは最近世の中を騒がせ始めている『廃仏毀釈』の風潮である。

 廃仏毀釈とは新政府が慶応四年三月十三日に発した『太政官布告』、通称神仏分離令と、明治三年一月三日に出された詔書『大教宣布』などの政策によって引き起こされた仏教施設の破壊運動のである。
 そもそも神仏分離令や大教宣布は神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図していなかった。しかしこの方針は、当時の復古的気運や特権的階級であった寺院から搾取を受けていると感じていた民衆により、法令を出した政府の意図を超えて仏教でさえも外来の宗教として激しく排斥する運動を引き起こしてしまったのである。
 そんな動きの中、直正・直大親子は改名と前後して神道へ宗旨替えをしていたが、心配なのは未だ増上寺にある盛姫の墓所のことである。自分が死んだ後、増上寺は、そして盛姫の墓は守られるのだろうか――――――直正は急に不安になった。

「松根、そこにいるか?」

 先ほど松根たちが出ていった襖に向かって直正が呼ぶと、しずしずと松根が入ってくる。

「松根、ここ最近寺院が被害に遭っているというが、それはどれほどのものか?増上寺は大丈夫なのか?」

 全く思いもしなかった質問に松根は一瞬驚きの表情を浮かべたが、明らかに泣きはらした跡のある主君の目に気が付き、直正の質問に答えた。

「廃仏毀釈ですね。ここ最近はかなりひどいようです。あちらこちらの貴重な仏像が破壊されていると・・・・・・まったくもって嘆かわしい!さすがに増上寺は徳川家の菩提寺だけあってまだ大丈夫のようですが、いつ何時暴徒が押しかけるか判ったものではございません!」

 美術、工芸に造詣が深い松根だけあって廃仏毀釈の気運は甚だ不愉快らしく、直正への答えの後半は殆ど自らの愚痴であった。そんな松根の言葉に黙りこむ直正だったが、不意に顔を上げ、とんでもないことを口にする。

「・・・・・・ならば国子殿を安全な場所に改葬するのはどうだろう。どちらにしろ私の墓所もそろそろ考えなければならぬところだし、丁度いい機会かもしれぬ。神道の、暴徒が押しかけぬ場所へ私の墓所と一緒の場所へ国子殿を改葬したいと思うのだが」

 それは徳川幕府の下では口に出すどころか想像することさえ許されない暴挙である。病のために自分の主君は脳がやられてしまったのか――――――直正の突拍子もない提案に松根は口をあんぐりと開けてしまった。



UP DATE 2012.07.13

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この話もとうとうラストタイトル『葵と杏葉』に突入いたしましたv
佐賀藩出身の若者たちが政治の中枢で活躍するのと入れ替わるように直正は政治の表舞台から引退いたしました。てか、本人はもっと早く引退するつもりだったのでしょうけど周囲が許してくれなかったという(^_^;)
そして引退した穏やかな日々の中、忘れ去っていた盛姫の手紙を見つけ出してしまいました。盛姫の死後、いろんな意味で後ろ暗いところがある直正ですから(笑)手紙を開けるのにも勇気が要ったでしょう。しかし手紙に書かれていたのは思わぬ文言でした。こんな事を書かれたらやっぱり恋しさが募っちゃいますよねぇ(*^_^*)

次回更新は7/20、盛姫の改葬を言い出した直正ですが、果たしてこれは成功するのでしょうか?次回をお楽しみくださいませ^^
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