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「葵と杏葉」
葵と杏葉・維新編

葵と杏葉維新編 第三十話 葵と杏葉・其の参

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 苦しみもがきながら直正が手を伸ばしたその刹那、懐かしい声が直正の耳をくすぐる。

(貞丸――――――こっちじゃ!この手に掴まるのじゃ!)

 その瞬間、柔らかく温かい手が直正の手を取り、直正を引っ張りあげたのだ。痛みの為寝返りさえ苦痛だったはずの身体がふわりと持ち上がり、まるで中空を飛ぶようにどんどん上昇していくような感覚に襲われる。



――――――残念ながら、ご臨終です。



 遠くの方から若い蘭医の悲痛な声が聞こえてきたが、直正はその声をあえて無視し、自分の手を取っている少女をじっと見つめた。
 その少女は腰まである髪の毛以外、少女らしさを彷彿とさせる物は全く身に着けていなかった。動きやすそうな薩摩絣に袴を身につけたその姿、健康的に日焼けした艶やかな頬に強い意志を湛えた黒目がちの瞳は、むしろ少年と思うほうが自然だろう。
 だが、直正はひと目で自分の手をとった人物が少年ではなく少女であり、しかも直正がよく知っている人物であることを見抜いていた。

「国子殿・・・・・・やっと迎えに来てくれたのですね」

 嬉しげな直正の言葉にその少女――――――盛姫はにっこりと笑う。

「よう判ったな。この姿で逢うた事はないはずじゃが」

 盛姫は少年のような短い袖をぴらぴらと振りながら、はにかんだ表情を浮かべる。そんな盛姫を見上げながら直正はその種明かしをした。

「茂義がこっそりと大奥に偵察に行った際、国子殿を垣間見たと申しておりました。その時説明してくれた姿とその姿があまりにもそっくりで・・・・・・本当にやんちゃだったんですね、国子殿は」

 盛姫の手を握りながら直正はふと寂しげに表情を曇らせる。

「・・・・・・しかし国子殿のその姿に比べて、私は少々歳を取りすぎてしまいました。これでは祖父と孫娘じゃないですか」

 せめて二十代くらいだったらまだ何とかなりそうなものを、と直正が頬をふくらませた瞬間、盛姫は急にくすくすと笑い出した。

「何を寝ぼけたことを云うておる、貞丸。自分の姿をよく見りゃれ」

 愉快げに笑う盛姫の指摘を怪訝に思いつつも、直正は改めて己の姿を見る。

「あっ!いつの間に!」

 いつの間にか起こっていた自らの変化に直正は驚愕した。盛姫の指摘通り直正の姿は六歳の子供の姿に――――――盛姫との婚約が決まった頃の姿になっていたのだ。

「その姿こそ真の『貞丸』じゃな」

 まるで姉のように盛姫は直正の頭を撫でる。その掌から伝わる暖かさは直正の身体全体に染み込んでいった。

「もう・・・・・・ずっと一緒にいられるんですよね」

 直正は盛姫に縋り付きながら上目遣いで尋ねる。それはまるで置いてけぼりを食らった子供のように切なげで、盛姫はそんな直正を慰めるようにぎゅっ、と抱きしめた。

「勿論じゃ。彼岸には参勤もなければ死別さえない。誰も妾たちを分かつことは出来ぬ」

 そう言って盛姫は直正を抱きしめながら遠くを指し示す。その方向には光り輝く一面の花畑が広がっていた。多分その花畑の向こう側にある世界が彼岸なのだろう。

「あちらで皆が呼んでいる。行くぞ、貞丸!」

 確かに耳を澄ますとそちらの方から二人を呼ぶ声が聞こえてきた。そしてその声の中には先に死んでいった茂義や兄の茂真の声が混じっている。直正と盛姫は互いの手を強く握り締めると、皆が待っていると言われた花畑の方へ一緒に走っていった。




 それは正月十八日、外桜田の旧佐賀藩邸から永田町の新たな屋敷に植え替えられた梅の木が――――――盛姫の死を看取った梅の木が、今年初めての花を付けた日のことであった。朝日が部屋に差し込む静かな部屋に、若い蘭医の悲痛な声が響き渡る。

「――――――残念ながら、ご臨終です。」

 その声の後を追うように物悲しい明け六つの鐘の音が遠くから聞こえてきた。その音と同時に直正の子供たちや重臣たちが泣き崩れる。

「父上・・・・・・父上ぇ!」

「大殿!!目をお開けくださいませ!」

 家督を継いでいる直大やその弟の直虎と直柔、末娘の幸子が悲嘆にくれる。そして直大から連絡を受けた責姫と細川家に嫁いだ宏子が間もなく永田町の屋敷にやってきた。

「姫様、ご無沙汰しております」

 すでに未亡人となり、尼僧姿になってる責姫を迎えたのは風吹であった。痘痕が醜く残ってしまっているが、それでも往年の迫力は今だ健在だ。

「父上様がお亡くなりになったって・・・・・・本当なの?」

 責姫の急くような問いかけに、風吹は逆に責姫を落ち着かせるようにゆっくりと、穏やかな声音で応える。

「御意。今朝方身罷られまして・・・・・・ご病気は相当苦しかった筈ですのに穏やかな死に顔をなされております」

 平坦な中にも僅かに悲しみが滲むその言葉に、責姫はただ黙って頷いた。そして風吹の先導で直正の亡骸が安置されている部屋へと案内される。庭に面した廊下に出た瞬間、責姫は二、三輪ほど咲いている梅の花に気が付いた。

「ねぇ、風吹。あの梅の花・・・・・・母上様の亡くなった日にも確か咲いていたわよね」

 思わず足を止めてしまた責姫に対し、風吹も目を細めながらその梅の花を見つめる。その穏やかな視線は、彼女の本当の主君である盛姫その人を見るように柔らかいものであった。

「御意。まるで・・・・・・」

 何かを言いかけながら風吹が一瞬口籠る。それは何事にもはきはきと答える風吹らしからぬことであった。

「どうしたの、風吹?まるで・・・・・・?」

「あの梅の花は・・・・・・姫君様が大殿を迎えにいらっしゃったお印のような気が致します」

 躊躇したものの、風吹は思ったままを口にする。その言葉に責姫も静かに頷いた。

「私もそう思うわ。だって、娘の私から見ても羨ましいくらい仲の良い夫婦でしたもの。きっと・・・・・・いいえ、絶対に母上様は父上様を迎えに来てくれたのよ」

 そう応えた責姫の頬はいつの間にか涙に濡れていた。その頬をほんの少し温もりを含み始めた春の風が、責姫の涙を拭うように撫でてゆく。それは実の母親のように優しかった盛姫の掌を彷彿とさせ、さらに責姫の涙を誘ったのだった。



 以前から予兆はあったものの、直正の死は明治政府にも衝撃を持って迎えられた。実は明治政府が始まって以来、直正ほどの高官が逝去したのは初めてだったのだ。国葬という制度は無かったものの、葬儀には勅使が派遣され天皇から弔詞と供物が下賜された上に、死に際して正二位が与えられた。この対応は国葬に準じるといっても過言ではないだろう。
 そんな直正の葬儀は神式で執り行われ、喪主は鍋島直大、葬儀委員長は古川松根、副委員長・久米邦武であった。だが、悲しみはこれだけでは終わらなかった。直正の葬儀が終わった二十一日、松根が切腹――――――追腹を斬り自らの命を断ったのである。徳川時代であれば幕府や藩など何重にも禁じられていた追腹であるが、皮肉にも新しい時代になり、追腹を禁じる法が無くなってしまったことが災いした。周囲は悲嘆に暮れたが、見た目に似合わず古武士然とした情熱と忠誠心を持っていた松根にとって追腹は最もふさわしい死に様だったのかもしれない。ちなみにこれは藩主に対する殉死としては最後のものと言われている。

 そして直正が依頼したように盛姫の改葬は明治五年に行われた。埋葬場所は賢崇寺に特別に作られた神域で、直正の墓所の右隣に直正のものよりは少々小さめの土円墳墓が作られた。
 なお盛姫同様家斉の子女五十余人の内、増上寺から改装されたのは盛姫を含めてたった四人である。しかも盛姫以外はかなり後、昭和期に入ってからの改葬であることを鑑みると、この時期の改葬は極めて異例である。やはりこれは直正の意向が強く反映されたのであろう。二つの墳墓は生前の二人のように仲良く寄り添い、賢崇寺の片隅にひっそりと祀られる事になった。



 月日は流れ明治六年十一月、直正の死からたった二年しか経過していなかったが、世の中はがらりと変化していた。暦も西暦を使うようになり、街はどんどん西洋化してゆく。そんな中、賢崇寺の墓所はまるで時代の波に取り残されたように静寂に満ち溢れていた。
 木枯らしが吹き始める中、ようやく落ち着いた色合いを見せ始めた直正と盛姫の墓前の前で二人の尼僧が手を合わせている。二人共三十代半ば位だろうか。後家にしてはかなり若い部類に入る二人は、長い間墓前で手を合わせた後、ようやく面を上げた。

「・・・・・・ねぇ、濱。本当に佐賀に行くつもり?」

 長い祈りの後、一人の尼――――――責姫がもう一人の尼である濱に声をかける。濱も直正の死に際して落飾し、墨染めの衣を身につけるようになっていた。

「ええ。だって・・・・・・きっと殿はこんな事は・・・・・・佐賀が戦場になることなんて望んでおられないと思うのです。私が行ったところで止められるとも思いませんけど」

 少し痩せた頬に笑みを浮かべると、濱は西の方を見つめた。その空の下には直正が――――――濱がただ一人愛した男が命がけで守ろうとした佐賀の地がある。
 だが、直正が生前苦慮して守りぬいた佐賀には明治政府に不満を募らせている不平士族が集結し、直正が目をかけていた若者たちが武士の矜持を守るため戦を起こそうとしているのだ。
 後に明治六年政変と言われる権力闘争に敗れた、江藤や大木などの優秀な元・藩士たちは流れのまま佐賀に終結してしまっている。

「せめて説得しに行って、一人でも多くの命を救いたいと思います」

 思いつめたその横顔は、まるで武士のように凛々しく、美しかった。

「無理は、しないでね」

 それしか責姫には言うことが出来なかった。それは濱の佐賀行きの理由の一つに『盛姫の改葬』があることを知っていたからである。
 盛姫の改葬を知った時、濱の落胆ぶりは目も当てられないほどだった。盛姫が死んでも直正の心がずっと盛姫にあったことは濱も承知していたし、それは仕方がないことだと諦めていた筈である。しかし盛姫は徳川家の命により増上寺に葬られ、直正と一緒の墓所に入ることはないだろうと思っていたのだ。それなのに明治新政府になり盛姫の改葬が許可されてしまったのである。
 盛姫が直正と同じ墓所に埋葬されると知った時、せめて死んでからは盛姫よりも直正の近くにと願っていた濱は絶望し、激しく落胆した。その絶望感が濱をとんでもない行動に駆り立てるのではないかと、責姫は危惧する。

(家臣たちに煽られて、変な行動に出なければ良いのだけど・・・・・・昔から濱は変に情熱的で夢見がちのところがあるから)

 立ち去ってゆく背中を見つめながら、責姫はただ濱の無事を祈ることしか出来ない。

「父上様、母上様・・・・・・どうか濱を、佐賀の皆を守ってくださいませ。父上様も母上様もご存知でしょうけど、あの子は思い込んだら突っ走ってしまうから」

 木枯らしが吹く中、責姫はただ静かに祈り続ける。そんな娘を見守るように、直正と盛姫の墓所はただ静かに横たわっていた。



 一つの時代に陰りが見え始めた時に出会った葵の姫と杏葉の若君は、互いに手を携え苦難を乗り切っていった。その苦難の結果実った果実は、次の世代がさらなる大きな花を咲かせるための糧となる。自らの役目を全うし、眠りについた葵と杏葉にようやく訪れた安らぎの時は、新たな時代の幕開けでもあった。



葵と杏葉・完




UP DATE 2012.07.27

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足掛け三年に渡り連載して参りました『葵と杏葉』、本日この回を持って最終話となりました。オリジナル転向当初から書き始めたこの作品を、海の物とも山の物ともつかぬころから読んで下さった方、更新時毎週来て下さった方、そしてコメントを残して下さった皆様、全ての読者の皆様、本当に有難うございます。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

書き始めた頃は『この話、本当に書き上げることができるんだろ~か?』と正直思っておりました(^_^;)以前二次創作で100話ちょいの長編を書き上げてはいたのですが、あくまでも設定等は原作から借りていたものですし、最初から最後まで全部作り上げて、150話・・・・・しかし、どんなに短くしようとしても自分が書きたいものを書き上げるには最低限150話は必要だしと腹をくくり書き始めて3年、ようやく書き上げることが出来ました。
 さすがに三年にもわたって書き上げてきただけあって『長いな~』と想われるかもしれませんが、実際は150話では足りず・・・・・特に開国編、維新編に至っては泣く泣くおもしろエピソードを切り捨てたりもしております。ただ、そのおもしろエピソードを拾っていってしまうと確実に話が脱線し『斉正と盛姫の恋愛物』というくくりから外れてしまう上に、今の私の力量では脱線した話を元に戻せない可能性が高かったのであえて切り捨てたエピソードもありました。後日、改めて参考文献を記載した記事をUPいたしますので興味のある方は覗いてみてくださいませね(ネット上にある記事も多数あります^^)

直正の死をもって『葵と杏葉』は終わりますが、話の最後に匂わせたように佐賀にはもうひとつ、大きな『嵐』がやってきます。平和を望んだ直正の意に反して『佐賀の役』へと突き進んでしまった葉隠武士たちの物語は小話、そしてお盆休みを頂いた後8月17日から開始したいと思います。

そしてこの話が残っているせいでしょうか、本編が終わったのにいまいち『終わった~!』という達成感というか感慨が湧き上がってこなくって(^_^;)ただタグ打ちの際、『Next』を打ち込まなくていいと思った瞬間『ああ、終わったんだなぁ』とようやく実感できた次第です。たぶん私にとっての『葵と杏葉』の終わりはもう少し先なのでしょう。とりあえず『佐賀の役』だけは書き上げてしまわなくては自分の中での収拾がつかなさそうです(笑)
その中で濱の新たな、そして最後の恋についても語られることになると思いますので宜しかったらこちらもお付き合いのほど、よろしくお願いいたします^^


まだまだ言い足りないことはあるような気がするのですが、書き終えた直後でやはり少し興奮しているんでしょうね。収拾がつかなくなりつつありますのでここいらへんで(*^_^*)
では皆様、また新たな物語でお会いしましょう。ここまで読んでくださいましてありがとうございました。

(参考文献については外伝を書き終えた後に記事にいたします)

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S様、 連載完結へのお言葉ありがとうございますm(_ _)m 

S様、『葵と杏葉』完結へのお祝いのお言葉、誠にありがとうございます(*^_^*)長いようで短かった3年間、楽しませて頂きました^^

幕末期に重要な役割を果たした割にはあまり取り上げられない鍋島直正と盛姫のドラマ、楽しんでいただけたようで・・・拙い物語を最後までお読みいただき感謝しております。

もうすぐ立秋とはいえまだまだ暑い日が続きます。S様もご自愛下さいませね。
コメント、ありがとうございましたm(_ _)m

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