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「葵と杏葉」
葵と杏葉・藩主編

葵と杏葉藩主編 第二話 前途多難・其の貳

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 桜の花びらが舞い散る中、多くの家来に守られ漆黒の馬に跨った貴人が町人の前に立ちはだかる。烏帽子姿も凛々しい火事場装束は姫装束としては珍しい黒羅紗で、葵の紋が金糸であしらわれていた。しかし見目麗しいのは衣装だけでない。頭巾で目許以外を全て覆われているものの、ちらりと見えるその目許からその美しさは容易に想像できる。
 だが美しさ以上にその貴人から漂っていたのは全ての者を平伏させる威圧感、そして凛々しさであった。明らかに姫装束を着込んでいる貴人を前にして斉正自身と勘違いする町人も少なくない。

「頭が高い、控えおろう!盛姫君様の御前であるぞ!」

 こちらも漆黒の火事場装束を着込んだ風吹が藤川に続き声高に宣告する。

「まさか・・・・・・!」

 聞き覚えのある風吹の声、そして盛姫の名が宿の中に居る斉正の耳にも飛び込んできて、斉正も思わず窓から顔を出した。

「・・・・・・国子殿らしい共揃えじゃ。私よりよっぽども藩主らしい」

 盛姫とそのお付きを見て斉正が苦笑を浮かべるほど、藤川や風吹が引き連れている集団は武威に満ちあふれていた。普通、姫君を守護する女官達ももう少し華やかな火事場装束を身につけるものだが、盛姫付きの女官達のそれは漆黒にそれぞれの家紋を染め抜いた実用本位のものである。そして彼女らを取り巻くように配置されている江戸藩邸の藩士達も股立ちを取り、たすきを掛けた臨戦態勢の姿だ。その姿だけでも見る者を威圧し、恐怖に陥れる。
 葵の紋を身につけた主と見た目だけでは男か女かも判らない武装集団、さらに諸藩の中では骨太の気質で知られる佐賀の侍達――――――どんな大藩の大名に対しても『ケツをまくって舌を出す』と言われるほど気位の高い江戸っ子でさえも、威圧感漂う集団に護られた『おらが殿様』の紋には太刀打ちできない。

「ははぁ~っ」

 借金取りに押しかけに来た町人だけでなく、近くにいた旅行者、そして騒ぎを聞きつけた旅籠の使用人や主まで地面に土下座し、頭を下げる。

「代表者、前へ!」

 いかめしい藤川の声に町人達は我に返った。これだけの騒ぎを起こし、しかも姫君自らを引きずり出してしまったのである。それ相応のお咎めは覚悟しなくてはならないだろう。顔面蒼白になりながら発起人の味噌屋の主が前へ出る。

「私目でございます。この度は・・・・・・」

「しばし待て。これ以上我が良人に恥をかかすつもりかえ?」

 口上を述べようとした味噌屋の主を止めたのは他でもない盛姫であった。この時代、将軍はおろか一万石をかろうじて超える小大名の言葉さえ庶民は聞くことが許されなかった時代である。まして姫君となればそれ以上だ。味噌屋の主はもちろんその場にいた町人全てがその声に動揺し、静まりかえっていたその場所が俄に騒々しくなる。

「騒々しい!控えよ!」

 良く言えば気さくな、正しくは姫君にあるまじき盛姫の行為に慣れている風吹が声を荒らげその場を鎮まらせる。そして盛姫はさらに言葉を続けた。

「その方等の気持ちも判る。じゃが此度の行列は佐賀の晴れ舞台じゃ。これ以上騒ぎを大きゅうするのは勘弁してくれぬか?」

 そして盛姫は藤川を促し一枚の紙切れを味噌屋の主に差し出させた。

「三日後に外桜田の黒門に来るように――――――姫君様の御命だ。この件、葵の紋にかけて解決なさると申されておる。それでよいな?」

 佐賀藩の家臣としてこれほど辛い仕事もないだろう。主家の紋にかけて借金を返すと言えないのだ。これ以上の屈辱は無いだろう。しかし、今は盛姫の持参金のみが頼みの綱なのである。

「確かに杏葉紋は信用できませんが、葵の御紋ならば――――――承知しました。では三日後、黒門にお伺いいたします」

 そして味噌屋の主は藤川に全ての借金を集めた明細を手渡した。およそ二刻に渡る騒動はこれでようやく決着が付いたが、若き藩主の矜持がずたずたに引き裂かれたのは言うまでもない。そしてその事を本人以上に心配する人物がここにいた。

「貞丸!おるか!」

 町人達が解散した後、盛姫は頭巾も取らぬまま斉正がいる宿へと足を踏み入れる。

「あの・・・・・・」

 何も言わずずんずんと本陣の中に入り込んでゆく盛姫に主人が声をかけようとする。しかしそれをはねのける者がいた。

「控えよ!」

 盛姫に付き従う風吹が宿の主に怒鳴りつける。その声に宿の主はひれ伏した。

「風吹殿!こちらです!若殿もこちらに居られます!」

 階下の騒ぎを聞きつけたのか階段の上から松根の声が聞こえてくる。

「承知!」

 風吹は松根に一声かけると盛姫の手を取り、二階へと上がった。

「こちらでございます」

 珍しく険しい顔をした松根は斉正がいる部屋の前に盛姫を案内する。その表情から斉正の状態が何となく予想できてしまうが、盛姫は意を決して襖に手をかける。

「貞丸、入るぞ」

 中からの返事を待たずに盛姫は襖を開けたが、目の前の光景に思わず息を呑んでしまう。そこには正座をしたままうなだれた斉正が――――――今まで見たこともない良人の姿がそこにあった。

「しばらく二人で話がしたい。しばらく控えておれ」

 斉正の姿が下の者に見えないよう自らの身体で視界を隠しながら盛姫は命じる。

「御意」

 盛姫の言葉に感じるものがあったのか、風吹を始めとする盛姫の配下だけでなく、佐賀藩の家来達も素直過ぎるほど盛姫の言葉に従った。

「貞丸・・・・・・」

 しかし、これ以上言葉が出ない。意気揚々と初のお国入りの矢先にこの騒動である。落ち込むのも無理はないだろう。何と声をかけて良いか判らず、盛姫は黙ったまま斉正の前に座り込んだ。

「国子殿・・・・・・悔しゅうござます。我が藩が・・・・・・ここまで情けない状況に陥っていたとは、先程まで全く知りませんでした」

 自分の目の前に座ったのが盛姫であることに気がついた斉正は絞り出すような声で盛姫に語りかける。

「確かに先の大風、そして歴代で積み重なった借財があるのは存じておりました。しかし、日々の味噌や醤油の代金まで事欠いていたとは・・・・・・」

 下町の棒手振りよりひどいじゃありませぬか――――――声になら無い声で斉正は呟くと、斉正の目からぽたり、ぽたりと涙が溢れ出る。まるで強く叱られた子供のようにうなだれる斉正だったが、それを叱咤激励したのは他でもない目の前にいる盛姫であった。

「貞丸、泣くでない。我らは・・・・・・前だけを見つめなければならないのじゃ。すでに起こってしまったことを嘆いてもしょうがないではないか」

 盛姫は斉正の近くににじり寄り、白魚のような細い指で斉正の涙をそっと拭う。

「藩主夫人として江戸は妾が責任を持とう。義父上にも我儘は言わせぬ。だから貞丸、そなたは佐賀を立て直すことだけに集中せよ」

 そういうと盛姫は袂から葵の紋が入った煙草入れを斉正に差し出した。これは火事場装束の付属品であるのだが、煙草を全く吸わない盛姫にとって袋物の一つでしかない。しかし、煙草入れに付いている葵の紋は下手なまじないよりよっぽど斉正の役に立つものである。

「佐賀では三支藩や龍造寺家の流れを汲む者達が反対勢力に回ると聞いておる。代替わりでどうなるか判らぬが、何かあった時少しはこの紋所が役に立つじゃろう」

 盛姫はその煙草入れを斉正に握らせると、先程の凛々しさとは一転、女性らしい柔らかな笑顔を見せた。

「どんなに離れていようとも我らはいつも一緒じゃ。絶対に二人で・・・・・・佐賀を立て直そうぞ」

「国子殿・・・・・・」

 折れてしまった心さえ元に戻してくれる妻の優しい言葉に、斉正は徐々に元気を取り戻してゆく。斉正は伽羅の香りが漂う煙草入れを胸に抱き、はらはらと涙をこぼした。

「ありがとうございます。絶対に・・・・・・絶対に佐賀を立て直して見せます!」

 辿り着く先さえ見ることのできぬ、それこそ海の向こうに行くのと同じくらい困難な道のりであるが、一歩一歩進まねば辿り着くことは出来ない。斉正と盛姫の二人は正にその一歩を今、踏み出したのであった。



 結局騒動の後始末を終え、品川を出立したのは日が傾きかけた頃であった。これでは暮れ六つまで歩いたとしても川崎が関の山だろう――――――騒動には落ち込んだが『川崎大師詣の雰囲気を味わえるのでは』と不謹慎にも斉正は思ってしまったのだが、世の中はそう甘くはなかった。

「子の刻が過ぎても保土ヶ谷まで行くぞ!これ以上遅れを取るわけには行かぬ!」

 茂義の鬼のような号令に誰一人文句を言うものはおらず、むしろ信じられないくらい足早に大名行列は進み出した。
 大名行列の予約というのは、その人数の多さから変更が不可能である。それだけに予約した宿場に何が何でも辿り着かねばならないのだ。それが出来ない場合、主君共々野営という名の野宿を覚悟しなくてはならないので家来達も必死である。

「し、茂義、もう少しゆっくりというか丁寧にと言うかならぬのか?」

 早足になればおのずと藩主の乗物も乱暴に揺すられる形になる。乗物の天井に頭をぶつけないよう必死にしがみつきながら斉正は茂義に訴えるが、茂義は聞く耳を持たない。

「諦めろ。保土ヶ谷に辿り着かねば食事さえままならぬ。藩士達だって死にものぐるいなんだ」

「では、せめて馬に・・・・・・。この揺れは堪らぬ!」

 狭い乗物で長時間揺すられれば大抵の者は乗物酔いを起こす。斉正はまさに軽い乗物酔いを起こしていたのである。しかし先を急ぐ茂義は斉正の訴えを却下する。

「駄目だ!これ以上恥をかくつもりか?これも藩主の務めと思って諦めろ」

 激しい揺れに半ば酔いを覚えながらも斉正は仕方なく乗物に乗り続ける。その状況で夜四つ、ようやく目的地保土ヶ谷へ辿り着くことが出来たのであった。



 遅すぎる夕餉が斉正の前に出されたのは保土ヶ谷に到着してから半刻後であった。あまり手のかからない簡単なものであるが、一汁三菜の体をなした旅先としてはそこそこまともなものである。しかし昼間の騒動の所為か、それとも乗物酔いの所為か一向に箸を付けようとしない。

「貞丸、明日から本格的な移動だぞ。今夜の内にしっかり食べておけ」

 茂義が酒を飲みながら斉正に食を勧める。一体どこからくすねてきたのだろうか、茂義の隣には一升徳利が鎮座しておりそれを手酌で飲んでいた。

「しかし・・・・・・」

 頭では理解できるものの身体がいう事をきかない。箸でおかずを摘んでも何となく口に運ぶことが出来ず、そのまま戻してしまった。

「本陣というものは人数で金を取るものだ。豪勢な食事だろうと一汁一菜だろうと出された分は支払わねばならぬ。だからこそ今回みたいに宿が準備してくれた食事は食わねば損だぞ。この分もきっちり上乗せさせれれる」

 本来大名及び上級家臣の食事は行列に付いている料理人が行ない、宿は藩同士の接待など特別な事情がない限り準備をしないものである。これは万が一の事があった場合宿に迷惑をかけないためでもあるが、今回は遅れて到着した斉正の行列のために宿場一番の料理人を呼び出して斉正達の分の食事も用意してくれたのである。

「・・・・・・ということは、参勤の費用を減らしたければその分人数を減らせと?」

「そう言うことだ」

 さらに酒をあおりながら茂義は続ける。

「しかし、参勤が始まった当時から年貢の四割――――――これは減らせぬだろうなぁ」

 酔った勢いもあるのだろう、やけに滑らかな口調で茂義は参勤の費用について語り始めた。



 遠国の藩全てに言えることだが、行列の出費を少しでも減らすために、日の出前の朝七つには出発し、日没提灯を使わなければ歩けなくなるまでひたすら歩く。時には夜五つまで歩き続けたという記録もちらほらあるほどである。
 行列側もそれだけ大変な思いをしているのだが、それを迎える宿場側にとっても同様であった。遠国大名を迎える夜間の作業が思いの外大変なのだ。その割りには実入りが少なく『吝嗇』と取られても仕方が無い。
 そこまで互いに苦労しても斉直の時代には片道五千二百両の費用がかかっていたのである。これは一里当たり約二十両かかる計算である。それでも一里につき三十両かかると言われる参勤において節約していた方だ。
 同じ九州の薩摩藩に至っては片道一万七千両、一里当たり約四十五両もかかっているのである。貧乏藩にとっては参勤費用の捻出、及び節約は大問題だった。

「まぁ、そんなに嘆くなって。今回は道中各藩への挨拶回りがあるから無理だが、次回からは藩御手船に乗れるぞ。お前、好きだろうが」

 半ばやけくそぎみに茂義は斉正を励ます。

「そうか・・・・・・行きか帰りは船で途中まで行くことができるのか」

 どちらかというと外国船の方に惹かれるものはあるのだが、『自前の船』があると言うだけでも『おふね好き』の気分は徐々に高揚してくるものである。斉正の顔にようやく笑みが浮かぶ。

「一部の藩士は途中から船で帰すつもりだから、浪速で見ることが出来るぞ。楽しみにしてろ」

 斉正の顔にようやく笑顔が戻ったのが嬉しかったのか、茂義は杯を片手に大笑いをした。



 だが、この『藩御手船』にもまたいくつもの問題があるのである。その事を斉正が知るのは浪速に到着したその日のことであった。



UP DATE 2010.02.17

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予告通りの借金返済編です(笑)。この返済方法にも色々な説があるのですが、以外と無かったのが『妻からの借金』なんですよね~。当時の結婚では『持参金』は絶対に持たされますので、鍋島藩で唯一緊急で使えるのはこれしかないんじゃないかと思うのですが・・・・・なのでこの展開はあくまでも私の妄想です(笑)。

そしてそこからの強行軍(爆)。佐賀、薩摩など遠国大名の行列は一日当たりの平均速度が他の藩より2~3里ほど早かったそうです。歩くのも大変ですが駕籠に乗るのもつらいですよね。さすがの斉正クンもさすがに乗物酔いしちゃってます。でも船なら酔わないんだろうな~。(私自身、船酔いしている旦那の横で缶ビール片手に野生のイルカを見ていたクチです。車とか酔うんですけど船は大丈夫なんですよね)

最後に参勤交代費用ですが、佐賀に関しては文献に掲載されていた二千六百両を斉正改革後とすることにしました。これだと一里当たり約十両なんです。人員を削減したとしてもこれはかなりキツキツの費用だと思うんですよね~。
そんな貧乏参勤交代に拙宅の斉直が耐えられるはずもありません(爆)。でもさすがに他国の平均と合わせてしまうと経済的に・・・・・と言うわけで一里あたり二十両の五千二百両にしちゃいました。これで二年に一回往復で五千二百両浮くんですけど借金が十三万両もあるんですよねぇ・・・・・どうやって節約しようか頭を痛めている最中です(爆)。

次回は浪速の『藩御手船』のトラブル編&ようやくお国入りですv
(こののんびりさで果たして5章150話で終わるのでしょうか?書きたいことが多すぎます・笑)


《参考文献》
◆参勤交代 丸山雍成著  吉川弘文館
◆神奈川の東海道(下)
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